京セラは30日、創業者の稲盛和夫氏が京都市内自宅で老衰のため、24日午前8時25分に亡くなったと発表した。90歳だった。稲盛氏はKDDIの設立や日本航空(JAL)の再建に尽力し、「経営の神様」と称賛された。
JALの再建時に国土交通相を務めていた国民民主党の前原誠司代表代行は30日、稲盛氏への思いを語った。稲盛氏は昨年まで、前原氏の東京後援会の会長を務めていた。
JAL再建「稲盛さんしかいなかった」
日本航空はリーマン・ショック後、放漫な経営体質が露呈し2010年1月に2兆3000億円の負債を抱えて倒産した。前原氏は2009年秋に発足した民主党政権下で、国土交通相を務め、破綻処理を主導した。
日本航空再建を、前原氏はこう振り返った。
CEOをお願いする時に、稲盛さんしか浮かびませんでした。この方しか日本航空を立て直せる方はいないだろうと。三顧の礼で、2回断られましたが3回目に引き受けて頂いた。極めて短期間でV字回復を遂げた。あれをやり切るのは、稲盛さんしかおられなかったと思います。感謝してもしきれない。日本を救って頂いた。
訃報について、こう述べた。
本当に大事な方を亡くしたという思いです。稲盛さんの遺志に基づいて、強い野党を作るために頑張っていきたい。
記者からの質問には以下のように答えた。
――最後にお会いしたのは?
引退されると会わない、電話にも出ないということを徹底されていた。この3年間ほど秘書を通じて話をしていた。
一度引退すると決めたら表に出ず、人に任せると徹底された。この潔さは稲盛さんらしさではないか。
稲盛氏も「二大政党制の実現」を目指していたという。
――なぜ二大政党制の必要性を感じていたと思うか?
競争というものが必要なんだと。一社独占、一党独裁ではダメで、競争が必要なんだと。そのなかでお互いが良いサービスをして良いものが生まれてくる。京セラ、KDDI、日本航空と、そのお考えは一貫していた。
再建後、JAL機内でかけられた言葉
前原氏もまた、「京セラフィロソフィー」の薫陶を受けたという。
――仕事以外での素顔や人柄は?
プライベートで会うということは基本的にありませんでした。会社でお会いしたときには、精神論や哲学の話をよくされた。「お前は今は自我が強すぎるんじゃないか」「人を立てることをもっと考えたほうがいい」とお叱りをうけることもあった。「ここは野田くん(野田佳彦元首相)を支えないといけないんじゃないか」と言われた時期もありました。
JALは破綻から3年後の2012年秋、再上場を果たした。その頃、前原氏は日本航空の機内で日本航空のスタッフから直接にお礼を言われたという。
再建直後、出張でヨーロッパ便かアメリカ便に乗った時、チーフパーサーが私のところに来られて、涙ながらに
「日本航空を助けて頂いてありがとうございました。稲盛さんという素晴らしい経営者の方を日本航空に送り込んで頂いて、ありがとうございました。我々は経営の細かいところまでは分かりませんが、とにかくお客さまを大切にする、安全を大切にするという哲学を学びました。フィロソイフィーと言われるものを、絶対に忘れてはいけないと思います」
と言われた。
天国の稲盛さんにどんな言葉を?
数日前に、関係者から訃報を知ったという。
――訃報はどうやって知った?
知ったのは27日です。ある筋からお話を頂いた。
秘書さんから聞いた晩年のお姿は、公職から外れて自然に任せるということだった。大木が朽ちられたという思いでした。寂しさと同時に、感謝しか浮かんでこない。二大政党制を実現することと、私の生き方として「動機善なりや、私心なかりしか」という問いかけられた言葉を胸に刻んで、これからも頑張っていきたい。
稲盛氏が日本航空会長に就任したのは、2010年2月だった。前原氏からの3度目の要請で、稲盛氏がJAL再建を引き受けた際、一緒にステーキを食べた思い出があるという。
当時、京セラは八重洲に東京支社があり、その下にステーキ屋さんがあった。稲盛さんが78歳で私が50歳になる手前ぐらい。私はヒレステーキ、稲盛さんはサーロインステーキを頼まれて、このお年でとびっくりした。その話をしたら、「肉はサーロインだ」とおっしゃっていたのを覚えています。
「天国に行かれた稲盛さんに言葉をかけるなら?」と問われると、こう答えた。
今まで公私に渡って大変お世話になった。二大政党制に向けて、一度は政権交代をした。それがうまくいかなかったあとも、もう一度二大政党を作れということで、去年まで東京後援会の会長をして頂いた。自民党に変わりうる強い野党をもう一度作って、政権交代を実現することを稲盛さんにお誓い申し上げたい。
日本航空の再建は、日本を救って頂いたことだと思っている。本当に感謝しかない。心からありがとうございましたと申し上げる。安らかにお眠り頂き、私たちを見守って頂きたい。
京セラによると、後日、お別れの会を行う予定という。