自動車メーカーは、市場における自社製品のシェア拡大を狙って長年続いているシリーズに加えて新たなモデル開発にも力を入れている。その結果ヒットモデルが誕生し、それがそのままシリーズ化されることもあるが、なかには狙いどおりの結果を残せずに短命に終わるモデルもある。今回は、ヒット作にはなれずに販売期間も短かめだった悲劇のモデルを振り返ってみよう。
文/長谷川 敦、写真/ホンダ、スズキ、トヨタ、日産、三菱自動車、FavCars.com
【画像ギャラリー】出来も良かった、個性もあったクルマだったのに忘却の彼方に!?(15枚)画像ギャラリー
あまりに短い国内販売、そこにはどんな理由が?「ホンダ エレメント」
まずは多くの読者に「覚えてますか?」と問いかけてみたいモデルの筆頭格を回顧する。それがホンダのクロスオーバモデル・エレメントだ。
エレメントが発売されたのは2002年12月。最初に北米でリリースされ、翌2003年4月に国内販売が開始となった。ここで注目したいのが、エレメントは「逆輸入車」として販売されたことだ。
製造を行っていたのはアメリカのオハイオ州にあるホンダの工場で、ターゲットになるユーザーもアメリカの若者だった。エレメントが逆輸入車になった背景にはそうした事情があり、実際にアメリカ市場には受け入れられた。
エレメントのベースになったのはホンダ製のCR-Vだったが、同車が通常の前後ドアを採用しているのに対し、エレメントでは後部ドアのヒンジを車体後ろ側に設ける“観音開き”になっていたのが最大の特徴だった。
ルックスはいかにも若者ウケしそうなポップなものであり、それまでのクロスオーバーモデルにはない明るいイメージは、日本国内でも若い世代に訴求することが期待された。
だが、実際の日本での販売成績は期待に届くものではなかった。そしてエレメントの国内販売は早期に打ち切られることになる。
エレメントのセールスが振るわなかった原因には諸説あるが、実は決定的な要因はわかっていない。考えられるのは、アメリカ市場をメインにしたため日本の道路事情に対してはやや大柄で重かったこと。そのため燃費が良いとは言えず、2000年代に入ってから注目が高まったエコ路線からはやや外れていた。
加えて、まだこの時代の日本では、現代ほどSUVやクロスオーバー車に人気が集まっていなかったことも考えられる。エレメントの国内販売があと15年遅かったら結果はまた違ったものになったかもしれない。
日本ではたった2年3カ月の販売期間に終わったエレメントだが、本国アメリカでは2011年まで製造・販売が続けられた。
インドから発せられた閃光は日本で輝かず「スズキ バレーノ」
次に登場するのは、つい最近まで日本国内でも新車販売していたクルマなので、覚えている人もいるだろう。しかし存在感自体は希薄であり、その名を聞くと「あー、あったね、そんなクルマ」と言ってしまう人もまた多いはず。そのクルマとは、スズキが2016~2020年に国内販売を行っていたコンパクトハッチバックのバレーノだ。
インパクトのある響きを持つ車名はイタリア語で「閃光」を意味するが、まさかスズキの販売陣も、日本市場において車名どおり閃光のように駆け抜けてしまうとは思わなかったはず。実際、国内での販売は不振に終わったものの、決して出来の悪いクルマではなかった。
2015年のジュネーブモーターショーで発表されたコンセプトモデルのiK-2をベースにしたバレーノは、全世界で販売するすべての車両がインド工場で製造されているというのも特徴のひとつだった。これはスズキがインドのマーケットを強く意識していたから。
バレーノは、インドやヨーロッパではコンパクトカーに分類され、実際にプラットフォームはスイフトとも共通だったが、日本国内では3ナンバーとなってしまうサイズであり、これが販売する際のネックになったのも事実だ。
キャビンやラゲッジスペースには余裕があり、パワーもこのクラスでは十分。新車価格は1.2リッターガソリンNA車で141万8000円、1リッターターボでは161万7840円と、コスト面でも優秀なクルマだった。その証拠に、メインターゲットのインドでは月間1万台を超える販売実績を残している。しかし残念ながら、日本ではあまり評価されることはなく2020年で新車市場から姿を消すことになった。
製造拠点のインドをはじめ海外での販売は好調のため現役のモデルとして活躍していて、2022年にはモデルチェンジも行われた。だが、日本での販売はわずか4年で終了し、すでに「覚えてますか?」のカテゴリーに入ってしまった。
車名だけなら覚えてる?「トヨタ ラウム」
日本人にとっては、どこか柔らかさも感じられる車名を持ったクルマがトヨタのラウム。実際にはドイツ語で「空間」を意味する「Raum」にちなんだ車名であり、その車名どおり室内空間を重視したデザインが特徴のクルマだった。
初代ラウムの発売は1997年で、当時のトヨタ製スターレットやターセル&コルサ、カローラIIなどと共通のプラットフォームを使用する新たなコンセプトのモデルとして登場した。
コンパクトカーのプラットフォームを流用しつつも、左右後部ドアにはスライド式が採用され、後部のハイトも高いトールワゴン的なパッケージのラウムは、子ども連れの女性が便利に使えるというのもウリのひとつになっていた。
こうした内容も評価され、初代ラウムは市場にも受け入れられることとなり、2003年の2代目登場まで販売が続けられた。
2代目ラウムは2003年5月から販売が開始された。そのテーマは「クルマにおけるユニバーサルデザインの追求」で、後部スライドドアや横開き式バックドアなどの構造は初代から引き継がれるものの、プラットフォームには2代目ラウム専用品が用いられた。
乗降性を高めるために屋根側が下部より大きく開く前部ドアの構造も初代と同様だったが、前後ドアの間にセンターピラーのないパノラマオープンドアがこの2代目から採用され、使い勝手はさらに向上していた。
初代の良さを残しつつ、さらなる進化を果たした2代目ラウムも比較的息の長いモデルとなり、販売は2011年まで継続された。しかし、3代目ラウムは登場せず、翌年にはラウムの事実上の後継車となるスペイドがリリースされる。ラウムの名称はここで終了となり、残念ながら、その記憶も徐々に失われつつある。
CMのインパクトは抜群だった!?「日産 ラシーン」
ラウム同様に耳に残る車名の響きから、「覚えてますか?」と問われれば、思わず「イエス」と答えてしまいそうなのが日産のラシーンだ。船の行き先を示す日本語の「羅針盤」からの造語であるラシーンの車名は、販売当時の日本人に新鮮な印象を与えた。
さらに販売当初に展開されたCMには国民的人気キャラクターのドラえもんを起用し、キャッチコピーは「僕たちの、どこでもドア。」と新たな世代をいくモデルであることを強調して、ボディカラーがブルーのモデルには「ドラえもんブルー」と名付ける念の入れようだった。
このように、大胆な車名とプロモーションが先行してしまったラシーンとは、実際にどんなクルマだったのだろうか?
1994年に販売が開始されたラシーンは、7代目B13型系サニーをベースにした4WDモデル。現代ではSUVに分類されるクルマだが、当時はまだこの呼び方はメジャーではなく、メーカーでも「4WDプライベートビークル」と称していた。
見た目は本格的なクロスカントリーモデルに近かったものの、サニーがベースということもあって最低地上高も低く、激しい悪路走行は想定されていなかった。
とはいえクルマ自体の仕上がりは良く、実際の販売成績も好調だった。だが、ラシーン販売期間後半には日産とルノーの提携によって車種削減施策が開始され、2000年8月に一代限りでシリーズの終焉を迎えることになってしまった。
ラシーンの中古車人気は現在でも高く、状態の良い個体は販売当時の新車価格を超えるケースもあるという。もしかすると、ラシーンを「覚えてますか?」のくくりに入れてしまうのは、このクルマに対して少々失礼になるかもしれない。
覚えているならかなりのマニア?「三菱 カリスマ」
最後は“覚えてる度”の低そうなクルマに登場してもらおう。そのクルマとは、三菱自動車が1996~2001年に国内販売を行っていたカリスマだ。
カリスマは三菱のモデルでありつつも、その出自は少々ユニークだった。設計は三菱だが、製造はオランダにあるNed Carの工場で行われていた。このNed Carとは、三菱と当時提携関係にあったスウェーデンのボルボ、そしてオランダ政府が出資した合弁会社である。つまりカリスマは、欧州で生産された逆輸入車であった。
欧州で製造され、メイン市場も欧州となるカリスマは「リアルヨーロピアンコンフォート」を標榜したモデルであり、ボルボのS40&V40ともプラットフォームを共用していた。車格的には当時の三菱製ランサーとギャランの中間に位置し、サイズも5ナンバー枠に収まっていた。
国内販売モデルの搭載エンジンは1.8リッター直4 SOHCタイプで、途中からは直噴方式のGDIエンジンに変更されている。日本国内での駆動方式はFFのみだが、欧州モデルでは4WDもラインナップされていた。
ボルボの兄弟モデルだったカリスマは堅実な小型セダンであり、内容も決して悪くはなかった。しかし日本での訴求力は低く、GDIエンジンでのテコ入れもむなしく2001年に国内販売が打ち切られた。ヨーロッパでは日本ほど苦戦していなかったが、2004年には生産が終了した。
今回紹介した5台のモデルには、いずれも各車なりの特徴や魅力があった。だが、それが販売実績に結びつくことはなく、どちらもシリーズの継続はならなかった。クルマ好きの人が時折これらのクルマを思い出すことが、せめてもの供養になるだろうか。
【画像ギャラリー】出来も良かった、個性もあったクルマだったのに忘却の彼方に!?(15枚)画像ギャラリー
投稿 記録より記憶に残るはずだった!? このクルマ、覚えていますか? は 自動車情報誌「ベストカー」 に最初に表示されました。