2022年6月、小学5年生の少年が千葉ロッテマリーンズに入団した。
彼の名前は宇都宮幹汰くん。4歳のときに急性リンパ性白血病を発症し、入退院を繰り返しながら現在も治療を続けている。
そんな幹汰くんが憧れているのは、髙部瑛斗選手。白血病の子どもたちを応援する活動をしている髙部選手だが、その思いとは。
10月1日(土)に放送されたテレビ朝日のドキュメンタリー番組『2ショット〜ダレカとダレカのドキュメント。〜』では、幹汰くんと髙部選手に密着。ロッテファンでもある松陰寺太勇(ぺこぱ)が取材した。
◆白血病と闘う少年がプロ野球選手に
幹汰くんは、長期療養中の子どもたちにスポーツチームの一員として交流する機会を与え、自立を支援する「TEAMMATES(チームメイツ)」事業の一環でロッテに入団。これはプロ野球界では初の取り組みとなる。
小学5年生でプロ野球選手になった幹汰くん。これまで野球の経験はなかったが、取材をした当時は(2022年)8月の始球式に向けて練習していた。
「野球の1プレー1プレーが自分の自信になる」(幹汰くん)
そう話し、懸命に練習に励む幹汰くんに、松陰寺は「僕にも勇気を与えてくれる。幹汰選手のファンです」と声をかける。
◆髙部選手、白血病と闘う弟と交わした約束
幹汰くんには目標として掲げる選手がいる。
それが、髙部瑛斗選手。2019年にドラフト3位で入団し、その後2軍生活を続けていたものの、今年ようやく1軍に定着し頭角を現している。
髙部選手が入団時に掲げた目標は「通算2000本安打」、そして「白血病患者の支援のため、1安打1万円を寄付」。なぜそのような思いにいたったのか。
「病気と闘っている子たちを少しでも元気づけたり、前向きな気持ちになってもらえるように(寄付を)やりたいなと思っています」(髙部選手)
そのきっかけとなったのは、「弟の病気」だ。
髙部選手には3歳下の弟が。高校時代、強豪校で野球に取り組むが挫折しかけていた髙部選手のもとに、母から「弟が学校で倒れた」と突然の連絡が入った。
病名は急性白血病。髙部選手は治療に苦しむ弟の姿を目の当たりにし、野球を引退し看病に専念すべきか悩んだ。
そんななか、弟が放った一言。「瑛斗が野球しているところ、テレビで見たいな」。
この言葉を心に刻み、猛練習を重ねて夏の甲子園に出場した髙部選手。弟との約束を果たした。
「必ずプロになり、弟にその姿を見せたい」――。そうして高校卒業後は国士舘大学に進み、次の目標であるプロを目指して厳しい練習に耐え続けた。
しかし、2016年秋、弟が永眠。髙部選手が大学に進学してわずか半年後の出来事だった。
「幹汰くんを見たときに、弟のようにも感じた。病気を感じさせないくらい周りに元気を与えているところを見ると、強い子なんだなってずっと思っていました」(髙部選手)
チームメイトである幹汰くんへの思いをこのように話す髙部選手。ロッカーには、幹汰くんから受け取った手紙も貼ってあった。
(幹汰くんからの手紙、一部抜粋)
「ぼくは球場で活動はしているもののあまり選手のみなさんに会う機会がコロナでなくなってしまったので手紙を書きました。
活動以外の日もテレビの前でおうえんしています。勝ったらうれしいし、負けたらとてもくやしいけど、がんばって練習しているのを近くで見ているから、当日負けても次の日も勝てるなと思っています。
選手がヒットを打ったり試合に勝ったりして選手のみんなが笑っている顔がもっとみたいです。
ぼくは、今おうえんしかできませんが、いつもほかにできることがないかなと思っています。何かぼくにやれることがあったら何でも言って下さい。
そして勝った時のハイタッチにぼくを入れて下さい。楽しみにしています。みんなでがんばって頂点をつかみましょう。」
髙部選手は、前向きに頑張る幹汰くんの姿に弟を重ね、「いつも力をもらっている」とも話す。
◆幹汰くんと髙部選手、夢の「勝利のハイタッチ」
そして迎えた、幹汰くんの始球式当日。
緊張の面持ちでマウンドに上がった幹汰くんが力いっぱい投げたボールは、ノーバウンドでキャッチャーのミットへ。場内は大きな拍手で包まれた。
そんな幹汰くんの努力が選手たちの心に届いたのか、髙部選手のヒットをはじめ、この日のロッテは絶好調。チームは見事勝ち星をあげ、幹汰くんは念願だった「勝利のハイタッチ」に加わることができた。
幹汰くんと髙部選手、まるで運命のように出会った2人のハイタッチ。
その模様を見終えた元テレビ東京プロデューサー・佐久間宣行は、「幹汰くんが(球団に)入ったことによりレギュラーの選手が力をもらって活躍しているなら、幹汰くんは“戦力”だよね」とコメント。さらに、「幹汰くんの“1プレー1プレーに意味があるんだ”という言葉にすごく感動した」と話していた。