今年7月にKDDIが発生させた大規模通信障害を機として、特定の携帯電話会社の回線が利用できない時に、他社回線に乗り入れて通信を維持する「非常時ローミング」が注目を集めるようになった。
その実現に向けては国も前向きな動きを見せており、総務省では今年9月より「非常時における事業者間ローミング等に関する検討会」を実施して、実現に向けた議論を進めてきた。
この検討会は、11月28日までに5回の会合が実施されているのだが、その1つ前となる第4回会合で、総務省は第1次報告書の案をまとめている。あくまで第1次報告書ということで、その内容は非常時ローミングをどのようなかたちで実現するかという、方向性の大枠を示すに留まっている。いつ、どのような方法でローミングを実現するかなどの具体的な内容は、今後の議論で決めていくことになるのだが、それでもいくつかの争点に関する整理はつけられているようだ。
非常時ローミング実現の最大争点「呼び返し」
中でも注目されるのは、非常時ローミングを実現するうえで最大の争点となっていた、緊急通報の「呼び返し」に関してであろう。呼び返しとは、要は警察や消防などの緊急通報機関側が、通報をしてきた相手に折り返し電話をすることである。
そして、この呼び返しを非常時ローミングで実現するには、ローミング中に緊急通報だけでなく、通常の音声通話もできるようにする必要があるため、技術的ハードルも高くなり、実現にも時間を要することとなる。そうしたことから、非常時ローミングを早期に実現する上で、技術的ハードルが低い呼び返しなしで緊急通報のみができる仕組みを取るか、呼び返しはできるがハードルが高い仕組みを取るかで議論が分かれていたのだ。
その結果、総務省が打ち出した取りまとめ案を見ると、呼び返しだけでなく通常通りの通話・通信も可能な「フルローミング」の早期実現を目指すとしており、呼び返しなしのローミングは選択肢から排除されたことが分かる。そこに大きく影響したのは、緊急通報受理機関の意見であろう。
というのも、先の検討会の第3回会合で、緊急通報受理機関の警察庁や消防庁、海上保安庁はいずれも、通報者の状況確認などのため呼び返しが必要不可欠であると主張。それに加えて、モバイルでの音声通話やデータ通信を日常的に業務に使用していることから、非常時ローミングであっても通常と変わらない通話・通信ができることを強く求めていたのだ。
確かに検討会の当初からも、有識者からは非常時ローミングのゴールは高く持つべきとの主張が多く見られた。だが非常時のローミングでも、平常時と全く変わらない環境を最初から目指す方針が取られる可能性が高まったことで、スピード感を重視して取り組むとされていた非常時ローミングの実現ハードルは大幅に高まり、早期実現は遠のいたと言わざるを得ないだろう。
実際、通信事業者の業界団体である電気通信事業者協会(TCA)は、当初より呼び戻しありのローミングを実現するには3年程度がかかるとしていた。それに加えて、第5回会合の議論ではフルローミングではデータ通信の利用も求められることから、MVNOのローミング参加も検討すべきとの意見が出て、報告書案に取り入れられることとなった。関係者がさらに増えたことで、非常時ローミングの早期実現に向けたハードルがさらに上がったことは間違いない。
早期実現への鍵となる「SIMなし端末発信」
ただ、別のかたちで非常時ローミングを早期実現する余地はまだ残されている。それは、SIMを挿入しない状態で緊急通報のみ利用できる「SIMなし端末発信」が、「緊急通報の発信だけを可能とするローミング方式」として、検討を継続すべき項目の1つに残ったことだ。
SIMなし端末発信は、そもそも通報者の電話番号がないので、呼び返しができないだけでなく電話番号が分からない、位置情報を通知できないなどの課題がある。それゆえ通報者の確認ができず、いたずら電話や、多数の端末を用いた緊急通報受理機関へのDoS(Denial of Service Attack)攻撃などに利用されてしまうことが懸念されている。
ただ一方で、先のKDDIの通信障害のようにコアネットワークに障害が発生してしまえば、非常時であってもローミング自体の実現は不可能で、利用者が緊急通報する手段を完全に失うことにもなりかねない。そうしたことから、ローミングなしでも緊急通報ができる最終手段として、SIMなし端末発信が継続検討されることとなったようだ。
このSIMなし端末発信の課題解決に向けて、可能性の1つを示したのが、スマートフォン向けのチップセットやモデムなどを提供しているクアルコムである。同社は先の検討会の第5回会合において、SIMを挿入した状態でSIMなし端末発信と同様、緊急通報発信だけを利用できるようにする「SIMありアノニマス緊急通報」で、「IMSI」を送信できる可能性を示したのだ。
IMSI(International Mobile Subscriber Identity)は、携帯電話の加入者を識別する番号で、世界的に用いられているもの。IMSIはSIMカードに書き込まれていることから、電話番号の代わりにIMSIを送ることで通報している相手を識別し、いたずらなどを防止できるわけだ。
しかもクアルコムによると、IMSIを送信する仕組みは海外で似た事例が存在するため、軽微な変更で対応が可能だという。それに加えて、通信事業者が基地局を活用した端末の位置情報を送る仕組みを用意すれば、通報者の場所もある程度識別できる可能性があるとの見解もクアルコムは示している。
現在、SIMありアノニマス緊急通報も日本では禁止されていることから使うことはできないが、これを利用できるようにしてIMSIや位置情報を送る仕組みを用意できれば、呼び返しができないこと以外の問題はほぼ解決することとなる。
古い端末での対応が難しいなど課題がいくつか存在するほか、クアルコム以外の事業者のチップを使っている端末の対応はどうなるのか? という疑問は残るものの、早期実現という観点で見れば大いに検討の余地があるだろう。ただその実現に向けては、非常時でも“完璧”にこだわる緊急通報受理機関側が、その仕組みに納得するかどうかというハードルがあり、予断を許さないのは確かだ。
非常時はいつ発生するか分からず、命にもかかわるもの。それだけに非常時ローミングは、やはり理想の追求よりも早期実現に向けた取り組みに注力すべきではないかと、筆者は考えている。