中国の新華社通信は30日、江沢民元国家主席が亡くなったと報道した。96歳。死因は白血病と多臓器不全という。
江沢民氏は1926年生まれ。若い頃は工場のエンジニアとして働き、のちに政治の道へ。上海市長などを経て、毛沢東亡き後の改革開放路線を推進した鄧小平の跡を継いで最高指導者の地位に就いた。1993年に国家主席に就任。在任中は香港返還(97年)、マカオ返還(99年)、WTO加盟(2001年)を達成し、中国の市場経済化とグローバル化を進め、のちの経済発展に礎を築いた。
一方で父親が戦時中に日本軍に協力していたとされ、江沢民氏はそうした過去を隠したい意図もあってか、日本に対しては歴史問題で度々猛批判。日本国内では保守層を中心に「反日」的なイメージが強かった。
この日、訃報が流れると、中国事情に詳しい有識者がツイッターで続々と反応。その中で指摘が相次いだのが、この「タイミング」でなぜ発表されたかだ。
元朝日新聞記者のジャーナリスト、峯村健司氏が「このタイミングでの死去発表には意図を勘繰らざるを得ません」と述べれば、元産経新聞記者のジャーナリスト、福島香織氏は「白紙革命の大鎮圧と江沢民の死去発表は関係している?」との仮説を示した。また、日本経済新聞の滝田洋一編集委員も電子版のコメント欄で「ゼロコロナ政策への抗議デモの波が広がるなか、しつらえたようなタイミングで発表された長老の死です」と述べた。
白紙革命とゼロコロナ--。習近平政権による新型コロナの強圧的な封じ込め「ゼロコロナ」政策に反発する学生らが、何も書かれていない白紙を掲げてデモを行う様子が連日報道されている。
中国通のルポライター、安田峰俊氏も「タイミング論」を述べていた1人。ツイッターで「このタイミングでの死去は、ともすれば非常に大きな意味を持ち得る気がします。不用意な連想を書けば、1989年4月の胡耀邦の死去のような」と指摘した。胡耀邦氏は1982年から5年間、初代国家主席として政治改革を推し進めたが失脚。89年4月に亡くなると、デモの学生が民主化とともに胡耀邦氏の死を悼んだことが天安門事件につながった。
動乱渦巻く中で舞い降りてきた江沢民氏の訃報。新たに歴史的な展開が待ち受けているのだろうか。