「中国共産党は長期戦略を追求している」とする、いわゆる中国脅威論を唱える専門家たちの著作が増えてきた。
日本語に翻訳されていないもので思いつくだけでも、バイデン政権に官僚として加わったラッシュ・ドシの『The Long Game』や、ワシントン・ポスト紙のコラムニストであるジョッシュ・ロギンの『Chaos Under Heaven』、そして経済戦略研究所所長で日本を含む長年アジア経済を研究してきたクライド・プレストウィッツの『The World Turned Upside Down』の3冊の本がある。
そのような中で、「中国の国力はピークアウトしたが、焦った北京は対外的に冒険的になるからむしろ気をつけろ」というユニークな主張を展開する新刊が出た。
その新刊のタイトルは『危険地帯:来る中国との紛争』(Danger Zone: The Coming Conflict With China)というもので、著者はジョンズ・ホプキンズ大学の戦略論を専門とする若手教授ハル・ブランズ(Hal Brands)と、タフツ大学准教授で中国政治の専門家であるマイケル・ベックレー(Michael Beckley)である。
「焦った中国は攻撃的になる」
タイトルが映画『トップガン』のテーマ曲そのままなのは気になるところだが、そこで展開されている議論は一見すると意外ながらも実に明快で、5つのポイントにまとめられる
- 中国は数々の幸運によって劇的な経済成長と軍事費の拡大によりアメリカの覇権に挑戦しつつある。
- だが中国経済はいよいよ鈍化しつつあり、国力もピークを過ぎた。
- しかもその劇的な台頭に脅威を感じた周囲の国々に戦略的に包囲網をつくられつつある。
- これに焦った中国は、他の歴史上の大国たちと同じように対外的に危険な存在となる。
- このような危険な時代(デンジャーゾーン)は2030年まで続く。
このような議論から出てくる政策案は、中国に対抗するために冷戦時代のソ連に対するような古典的な「封じ込め」(containment)を行えというものだ(ブランズと彼の父親は冷戦史を得意とする学者だ)。
実に明快なアメリカの対中戦略を提唱している2人の著者だが、彼らの議論で最も特徴が強く出ているのは「中国がピークアウトした」という認識と、「焦るので危険になる」という点である。
そして彼らの議論に対する批判が、中国を警戒しながらも別の認識を持つブランズの同僚たちによってなされていて興味深い。
「中国のポテンシャルを見誤るな」
この2人の論文に異を唱えたのが、ブランズがシニアフェローとして籍を置いている「アメリカン・エンタープライズ公共政策研究所」(AEI)のオリアナ・スカイラー・マストロとデレク・シザーズという2人の専門家だ。
この2人はメジャーな外交誌であるフォーリン・アフェアーズ誌で「中国はまだパワーのピークに達していない」(「China Hasn’t Reached the Peak of Its Power」)というブランズらの意見と真っ向から対立するタイトルの意見を発表している。
その中身を要約すると、以下の5点になる。
- 中国の国力はピークを迎えていない。迎えていたとしても国力は急に落ちない。
- 軍事予算はあと10年は拡大傾向であり、まだ余裕がある。
- したがって北京は「焦らない」し、 現在の中国の文献にはそのような焦りは見当たらない。
- 2030年にはさらに自信を得た中国になっている可能性が高い。
- そうなると中国はまだアメリカと直接対決はせず、時間をかせぐ方向に行く。
要するに「中国のポテンシャルを見誤るべきではない」「むしろアメリカ側もさらなる軍拡が必要になる」とする、中国に対する警戒感をさらに高めた分析となっている。
「予測不能な時代」読む3つの教訓
このように対立するアメリカの専門家たちによる対中分析や戦略論について、私は以下の3つの教訓めいたことが導き出せると考えている。これらは、日本政府だけでなく、見通しが不透明な中でも、先を見越した戦略を考えなければならないあらゆる組織のリーダーにも当てはまるかもしれない。
第一に、未来は不確実であるということだ。論点となる中国のピークアウトだが、これは数年後になって振り返ってみないと判明しないのであり、現時点では「ピークアウトした可能性」と「ピークアウトしていない可能性」の両方が併存している。
とりわけ中国のように情報が不透明な国家の行動の予測は難しい。未来予測は基本的に当たらないものだが、とりわけ変化する要素が大きい中国のような大国の場合はそれがさらに難しくなるということだ。
将来予測に必要な「世界観」
それと矛盾するようだが、第二は未来を予測した戦略を考える際には、一定の「セオリー」や世界観のようなものが必要になるということだ。
たとえばブランズとベックレーはピークアウトした中国は、過去に台頭した国々と同じように焦るようになり、結果として冒険的な戦略を選択しやすいと説いている。
それに対してマストロとシザーズは、たしかに「現在の文書や高官たちの発言には焦りは見えない」と実に鋭い指摘を行っていることはすでに述べた通りだ。
ところがここで問題なのは、今後の中国の指導層の人々の考えや意図には、劇的に変化する可能性が残っているということだ。つまり現時点では焦っていなくても、時間が経てば指導層が急激に焦りだす可能性もあるということだ。
実際にアメリカは、つい最近まで「中国を応援して世界経済に組み込み、民主化させることができる」と無邪気に信じていたが、その際によく引用されたのが「現在の北京の指導者たちはアメリカを追い越そうなどとは考えていないし、そのような発言もしていない」というものだった。
しかもオバマ大統領は「成功して台頭しつつある中国を、世界におけるリーダーシップの重荷をアメリカと建設的に共有できるよう応援すべきだ」と2016年の4月まで主張していたほどだ(参考:「オバマ・ドクトリン」)。
現在の中国の指導層の表に出てきている考えに焦りが見えないとしても、過去の大国たち(第一次世界大戦前のドイツ帝国、第二次世界大戦時のナチス・ドイツや大日本帝国)たちがそのような態度に変わってきたというセオリー(というかアナロジー)を持つことは、誤った情勢判断に結びつく可能性がある一方で、戦略を考える際には貴重な考え方の枠組みを提供してくれる。
端的にいえば、現在の政策担当者たちの考えとは無関係に、将来の指導者たちの意図は変わり得る。そしてそれを予期するには、世界を理解するためのセオリーのようなものが必要となる。
柔軟な姿勢とセオリーの必要性
第三に、戦略の実行には、移り変わる状況に柔軟に対応できる能力が最も必要になるということだ。
戦略の実行には、「孫子の兵法」の例を持ち出すまでもなく、現実に対して水のように柔軟な対応をすることが求められる。
これについて興味深い指摘がある。ローレンス・フリードマンは発表したばかりの新刊での議論をベースに、プーチン大統領がなぜ国家のリーダーとしてウクライナの作戦で「失敗」し続けているのかを論じている。
そこでフリードマンが指摘したのが「プーチン率いるロシアのような独裁的な体制には、現場から情報を正しく上げて判断して実行できる、いわゆるフィードバックシステムが機能しにくい」ということだ(参考:「独裁政治は壊滅的な決定を下す傾向がある・プーチンの場合」)。
つまり独裁体制のような硬直した体制では、現実の状況を的確に理解して、それに対して戦略的な行動を修正し続けなければならない。一定のセオリーを持つのも大事だが固執してはならず、常に現実に合わせた修正を行っていかなければならないということだ。
現在のところ、中国がピークアウトしたかどうかはわからない。ただし我々は一定のセオリーを使って予測を立て、それを適時修正しながら実践にあたる態度が求められるのだ。