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お笑い芸人のパックンことパトリック・ハーラン氏の発言がネットで“炎上”している。パックンは出演した4日放送のテレビ朝日系「ビートたけしのTVタックル」で、次のように発言した。

パックン(パトリック・ハーランさん:2019年1月、撮影アフロ)

国葬は、安倍さんに対してやらないんだったら、誰のためにやるのかって思います。もちろん、W学園問題(森友学園と加計学園を巡る問題)など、はっきり解決されていないものをそのままにしちゃったのはみっともないと思います。でも、憲政史上最長の政権をなした総理大臣が暗殺された後に国葬をやらないんだったら、いつやるんだろうと思います

「パックン、リベラルだと思っていたのに…」

この発言が、ヤフーニュースなどで拡散されると、ツイッターでは一時「パックン」がトレンド入りするほどの話題となった。

今回の“炎上”で特徴的だったのは、パックンを批判するツイートの多くが「リベラル」というキーワードを絡めていたことだった。

パックン、どちらかというと良識的なリベラル主義だと思ってたのに

パックンって、もっとリベラルでフラットだと思ってたので大変残念。

リベラルである以上に、権力の犬であったというだけのことでしょう。#パックン

パックン、リベラルだと思っていたのにネトウヨだったのか!

ここでいう、リベラルとはどのような意味を持つものなのだろうか。そもそも、日本ではリベラルはどういった意味で使われているものなのか。

日本のリベラルは「左派」の言い換え

神戸市外国語大学准教授で、日本近現代文化史、歴史社会学が専門の山本昭宏氏は2016年、言論サイト「SYNODOS」に掲載された記事の中で、日本のリベラルを歴史的経緯から、政権交代可能な反自民勢力としての「リベラル」と、「平和」「脱原発」「反基地」を原則として掲げる「リベラル」の2つに分類していた。

山本氏は後者を「第二の類型」としたうえで、次のように解説している。

この第二の類型は、公正で平等な社会を求めて現状を批判し、より良い未来への提言を行う。したがって、見かけは旧来の「左翼」「革新」に似通ったものとして理解されがちである。その意味での「リベラル」は、少なくとも論壇用語としては、共産党に代表される「左翼」と旧・社会党(現・社民党)に代表される「革新」から社会主義を取り除いて、新たに「別の選択肢」を立ち上げようとする機運を指す言葉になっているのである

昨今の日本におけるリベラルとは本来の意味から離れて、「左派」「左翼」の言い換えになっているという指摘だ。

アメリカでのリベラルの意味は?

それでは、アメリカでリベラルはどういう意味を持つのか。慶応大学環境情報学部教授で、アメリカ研究、文化政策論などが専門の渡辺靖氏は朝日新聞「論座」に寄稿した論文で次のように指摘していた。

自由主義の枠のなかで、より強固な自由を求めるのが米国流の「保守」であり、政府による一定の介入を求めるのが米国流の「リベラル」ということになる。

具体的な政策内容で比べてみるとわかりやすい。国際社会での覇権力や軍事力の維持については、リベラルは「必要ない」なのに対して保守は「必要」。公共事業や福祉政策、国民皆保険はリベラルが「政府がやるべき」という意見なのに対して、保守は「政府の関与は最小限でいい」。労働者の保護、雇用政策、格差是正などについてはリベラルが「政府がやるべき」なのに対して、保守は「政府はやらなくて良い」。

自民党政権は、社会福祉強化のための増税を行い、2019年10月に保育・教育の無償化を実現した。待機児童ゼロを目指して、保育サービスの拡充も行っている。

アメリカのリベラルの基準からすると、自民党はむしろリベラルのようにも思えるが、当のパックンもニューズウイーク日本版に「アメリカから見ると自民党はめっちゃリベラルです」(2021年9月25日)というタイトルのコラムを出している。

識者「日本のリベラルはインチキ集団」!?

「テレビ界 バカのクラスターを一掃せよ!」(飛鳥新社)などの著書がある藤原かずえ氏は、パックンの発言を巡るネットの反応について、「あらためて日本の自称リベラルが精神的自由権(内心の自由)と経済的社会権(公共サービス=国葬儀)を強く制限するインチキ集団であることがわかります」と辛辣に評していた。

一般ユーザーからも、

いちいち騒いでいる日本の自称リベラルの滑稽さがよくわかります

日本にもパックンみたいなまともなリベラルがいたら、建設的な議論が出来るけど、日本のリベラルは議論すらできない

パックンなんて米民主党支持のバリバリのリベラル派なのに、国葬賛成しただけで日本の左派左翼リベラルから猛批判されててウケるわ~。

といった声が寄せられていた