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【編集部より】世界史に特筆されるであろう、ロシアによるウクライナ侵攻は、長らく平和を享受してきた日本人の外交・安全保障観にも大きな波紋を広げてきた。前ウクライナ大使の倉井高志氏に聞く「ウクライナ問題」。最終回は、問題が長期化する中で日本がどう向き合っていくべきなのかを論じます。(2022年9月14日取材:3回シリーズの3回目)

Leestat /iStock

「同じ境遇に置かれている」

――倉井さんの新著『世界と日本を目覚めさせたウクライナの「覚悟」』(PHP出版)を読んでいて、実は最も驚いたのは、ウクライナの若者が北方領土の日に当たる2月7日に、ロシアに対する「北方領土返還要求デモ」を行っているという事実でした。

【倉井】私もウクライナに赴任して初めて知り、大変驚きました。2月7日になると、若者たちがウクライナ外務省と、在ウクライナのロシア大使館前で抗議活動を実施します。人数はそれほど多くありませんが、おそらくウクライナの人たちからすると、「ロシアの西の国境に接しているのは自分たちウクライナ、東の国境に接しているのが日本であり、両国ともロシアの軍事行動によって領土を取られ、領土問題で今もロシアと争っている」という思いがあるのでしょう。「同じ境遇に置かれている」「だからこそ、日本と協力すべきだ」という気持ちがあるのです。

――日本では今回の件でようやくウクライナの位置を知った人も多いですが、ウクライナの人は日本を知っているのでしょうか。

倉井高志(くらい・たかし)
元外交官。前ウクライナ大使。京都大学法学部卒業後、1981年、外務省入省。外務省欧州局中東欧課長、外務省国際情報統括官組織参事官、在大韓民国公使、在ロシア特命全権公使、在パキスタン大使を経て、2019年1月から2021年10月までウクライナ大使を務め、同月帰国。著書に『世界と日本を目覚めさせたウクライナの「覚悟」』(PHP研究所)

【倉井】これも日本ではあまり知られていませんが、ウクライナにとって日本は特別な国です。広大な領土を持つロシアを挟んで、8000キロも離れた国ではありますが、日本は対ウクライナ人道支援において、世界でもトップクラスの実績があります。1991年にウクライナが独立して以降、日本は31憶ドル以上の支援を行ってきました。2014年のマイダン革命はウクライナにとって重要な節目ですが、それ以降の8年間だけでも18憶ドル以上の支援を行っています。

ウクライナの人たちは精神的にも、経済的にも西の方、つまりEUの方向を向いていますが、しかし一方で、東にいる日本が自分たちを助けてくれる国だという意識はある。だからこそ、政治的意識の高い人たちは「北方領土問題をウクライナ人が訴えることで、ロシアに対する領土問題での共闘もできる」と考えているのでしょう。

また、もう一つ事情があります。沿海州を含むロシアの極東には、ウクライナ系の人々が多く住んでいます。ごく少数、農奴解放の時期に自ら移り住んだ人たちもいるようですが、多くの人たちは主にスターリン時代の強制移住によって東に移動させられた人たちです。実は北方領土の住民にも、ウクライナ系の人たちがかなりいます。

国家間に生まれる「恩返し」の歴史

――なるほど、ウクライナ人による北方領土返還運動には、そうした側面もありそうですね。ロシアによるウクライナ侵攻後、日本にもウクライナからの避難民がかなり来ています。ヨーロッパ方面に逃げるのはわかりますが、「果たして日本に逃げてくる人がそんなにいるのだろうか」と思いましたが、現在2000人弱くらいが避難してきているとか。

【倉井】はい。もちろんヨーロッパ各国に避難したのは数百万人という単位ですから、それに比べれば日本へ来た人数はごくわずかではあります。ただ、こうした経験はかなり重要です。

今回のことで思い起こすのは、1920年代に、極東・シベリアから日本に引き取ってあげたポーランドの残留孤児のことです。当時シベリアには流刑や強制移住させられたポーランドの人たちが相当数住んでいたのですが、ロシア革命の混乱などで親を亡くした子供たちがたくさんいました。それを当時の日本赤十字は、年齢にして3歳から15、6歳くらいまでの全部で765人の孤児を引き取り、政府が支援しました。着物を着せて、教育を施して、成長したのちはアメリカ経由でポーランドに帰国させたのです。

このことをポーランド側はずっと覚えていました。今の上皇陛下が2002年に天皇陛下としてポーランドにご訪問された際、私は担当課長として同行させていただいたのですが、ポーランド孤児だった方々の何人かとご対面なさる機会を作ることができました。みなさん、本当に日本に感謝しておられました。

人道的理由で行ったことが、思わぬことにつながった例もあります。かつて、「命のビザ」でユダヤ人を救った杉原千畝は有名ですが、スウェーデンには大使館付武官として派遣された小野寺信という方がおられて、実はこの2人には共通のポーランド人の情報源がありました。このような情報源となる人物が、1945年2月のヤルタ会談での秘密協定の内容、つまり「ドイツ降伏の3カ月後にソ連は日本に戦争を仕掛ける」と合意していたことをつかみ、小野寺に情報提供したのです。小野寺はすぐに日本に電報を打ちましたが、当時の日本政府はこの情報を無視し、逆にソ連に仲介を依頼する方針を立てたのでした。

1942年12月、ドイツ国防軍第21ノルウェー軍の要塞を視察訪問する小野寺信(撮影者不明、Museum Vest CC BY 3.0

いずれにせよ、この情報源となったポーランド人が、なぜ秘密協定の内容を日本に教えてくれたのか。その理由の一つが実は「1920年代に日本がポーランド人孤児を助けてくれたから、恩返ししたい」ということだったのです。

将来的な恩返しを期待して、今ウクライナに手を差し伸べるというわけではありませんが、国と国との関係には、そういうこともあるんですね。

日本政府は「正論」を主張せよ

――今後、ウクライナに対して日本ができることはあるのでしょうか。

【倉井】まず日本国として、あるいは日本政府としてやらなければならない最も重要なことは、「何が正しくて、何が間違っているか」を明確にすることです。「ウクライナも悪かった」「アメリカが対処を間違えた」という側面が一切ないとは言いません。しかし問題の核心は「ロシアが軍事侵攻という致命的な間違いを犯した」という一点に尽きます。ここを我々は絶対に見失わず、国際社会において堂々と「ロシアは間違っている」と正論を吐くことが最も重要です。

現在、日本はウクライナに対して軍事的協力は行っていませんが、私は基本的には今後もやる必要はないと思っています。もちろんウクライナに兵器が必要なことは間違いありませんが、兵器のインターオペラビリティ(相互運用性)の問題や、様々な日本の制度との関係などを考えると、日本がその役割を実質的に担う必要はない。直接的な被害があり得てかつこれら問題をクリアできる欧米諸国がまずその役割を果たすことが効果的だと思います。

2019年10月、天皇陛下の即位礼参列で初来日したゼレンスキー大統領と会談した安倍首相(当時、官邸サイト)

それよりもむしろ、先にも述べた「正論」を主張し続けること、そして対ロ経済制裁に抜け穴が生じないよう、長期にわたって続けられる状態を作り出すことが重要です。経済制裁については様々な評価がありますが、間違いなく効果が出ています。すぐにロシアが倒れるということはありませんが、例えば半導体不足が兵器の性能等に及ぼす影響も、自ずと出てくることになるでしょう。また今後、軍事行動が終結したあとにはウクライナ国家の再建が課題になってきます。これには日本も主体的に参加すべきだし必ずそうなると思います。

事態の行方を握るアメリカ

――ウクライナが9月に大攻勢を展開したと思えば、今度はロシアが部分的動員令を出した、とも報じられており、まだ侵攻の終結は見えてきません。

【倉井】しかし必ずいつか侵攻は何らかの形で終結します。もちろん、長期化の様相を呈していますし、終結の条件が2022年2月24日の侵攻開始直前の事態にまで戻すことになるのか、いまウクライナが求めているように2014年のクリミア侵攻前の状態まで戻すのか、まだ着地点は見えない状況にあります。私は今後の事態の鍵を握るのは米国の動きであると思っています。11月のアメリカの中間選挙も迫る中、アメリカの民主党が成果をアピールすべく、ウクライナの事態に何らかの落としどころを形作る可能性もなくはないと思われ、米国の出方を注視しています。(おわり)