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 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、BPRグローバルGTシリーズなどのGTカーレースを戦った『ロータス・エスプリV8 GT1』です。

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 ロータスは1960年代から1970年代にかけてモノコック構造、ウェッジシェイプ、ウイングカーなど多くの先進技術を投入し、F1で数々のタイトルを獲得してきた。しかし1980年代を過ぎて、1990年代に入る頃には成績が低迷する。1994年になると、さまざまな要因からF1から撤退することを余儀なくされてしまった。

撤退はしてもロータスでF1を戦っていたスタッフたちの情熱は、冷めたわけではなかった。1995年には再びロータスとして、サーキットレースを戦うプロジェクトが始動しはじめた。

 そのロータスが目を向けたのが、BPRグローバルGTシリーズ(BPR GT)に端を発し、世界のスポーツカーレースのメインカテゴリーとなりつつあったGTカーであった。

 GTレース参戦にあたって、ベースマシンとして選ばれたのが、今回紹介するロータスの誇るスーパースポーツカー、『ロータス・エスプリ』だ。

 ロータスはエスプリを使って、BPR GTのGT2やGT3クラスへの参戦を開始する。それと同時に、1996年に向けて、最高峰クラスであるGT1クラスを視野に入れたエスプリV8 GT1の開発をスタートさせた。

 シャシーは、そもそもエスプリが持つロータス伝統のバックボーンフレームはそのままに、ロールケージを組み込んで、レーシングカーとして必要な剛性を確保。ボディは、カーボン製の左右に大きく張り出した形状が特徴のオーバーフェンダーなどのエアロで武装していた。

 エンジンが、GT2仕様とはもっとも異なる点で、当時市販が予定されていた3.5リッターのV型8気筒ターボをリヤミッドに搭載。レース向けにチューンされたこのエンジンは、550psほどの出力を発揮していた。

 そんなエスプリGT1は、1996年のBPR GT開幕戦より実戦デビューを果たす。第4戦シルバーストンでは2位でフィニッシュ。さらに第5戦ニュルブルクリンクでは、ポールポジションを獲得するなど、当時最強だったマクラーレンF1 GTRを脅かすほどのポテンシャルを持ったマシンに仕上がっていたのだった。

 だがその速さとは裏腹にトラブルに見舞われ、その速さを結果に繋げられないことも多かった。このような結果からロータスは、このエスプリに見切りをつけて、1997年よりBPR GTからFIA GTと名称を変える選手権に向けて、エリーゼをベースとしたGT1マシンを開発することになる。

 だが、このエスプリほどの鮮烈な速さを発揮することはできなかった。ロータスは、GT1の戦線から去ることになるのだった。

1996年の鈴鹿1000kmを戦ったロータス・エスプリV8 GT1のサイドビュー。
1996年の鈴鹿1000kmを戦ったロータス・エスプリV8 GT1のサイドビュー。
ロータス・エスプリV8 GT1のリヤビュー。AE86型のトヨタ・カローラレビンから流用していたテールランプはレーシングカーとなってもそのまま活かされている。
ロータス・エスプリV8 GT1のリヤビュー。AE86型のトヨタ・カローラレビンから流用していたテールランプはレーシングカーとなってもそのまま活かされている。