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ピニンファリーナ・デザインの流麗な高級車

セドリックと言えば長らく日産を代表する高級車であり、いわば”日産の顔”であった。その名が消えてしまったのは非常に惜しいことである。初代セドリック(30型系)は1960年、それまでライセンス生産を行ってきたオースチンA50での蓄積を活かした乗用車としてデビューした。排気量は1.5L、のちに1.9Lに拡大。ボディスタイルは一見アメリカ的なディテール(ラップアラウンドのフロントウィンドウ、縦配置のデュアルライト)が特徴であったが、分厚いプロポーションには、オースチン、ひいては英国車の影響も見え隠れしていた。

【画像49枚】キットの美点を損ねずさらに上質に生まれ変わったセドリックとその工程を見る!

この初代モデルは1965年秋にモデルチェンジを行い、2代目モデル(130型系)へと進化。ボディはスマートなプロポーションのものに一変したが、このスタイリングはイタリアのピニンファリーナに依頼したものだ。下すぼまりのCピラーやリアフェンダー上部からルーフ後端を結ぶメッキモールが特徴的だが、そのフロント周りや、緩やかに下降するサイドラインは、同じくピニンファリーナのキャデラック・ジャクリーヌ(1961年)にも共通するもの。このフロントマスクのモチーフは、1968年のオースチン3リッターにも用いられている。

車体は初代同様にモノコック式で、全長4680mm、全幅1690mmと初代より大きく、全高1455mmと初代より低い。ホイールベースは2690mm。サスペンションは前ダブルウィッシュボーン/後リーフリジッドで初代と変わりなかったが、エンジンは新開発の直列6気筒SOHCを搭載(当初はトップグレードのスペシャル6のみ)。これこそ、その後長く日産車を支え続けたL20型の登場である。中級グレードには同じ直6 2LながらもOHVのJ20、そして廉価モデルには直4 2LのOHVであるH20。シフトは3速が標準で4速をオプション設定、6気筒車にはボルグワーナー製の3速ATも用意されていた。

こうして華々しくデビューした2代目セドリックであったが、その販売成績は芳しいものではなかった。下降したサイドラインを特徴とするボディスタイルが「尻下がり」として不評を買ってしまったことが、その最大の理由である。このため、登場翌年の細部の変更(テールなど)を挟み、2年目にはリアフェンダーなどトランク周りの形状を大きく修正。上部が直線的になっただけでなく下端も大きく後ろ上がりとなって、同時期の510型ブルーバードにも近い印象のリアスタイルとなった。そして、これでもまだ足らぬとばかりに、その翌年(登場3年目)にはビッグマイナーチェンジを敢行。

フロントノーズの形状は完全なフラットデッキとなり、リア周りもさらにスクエアな形状に変更された。それだけでなく、サイドウィンドウには曲面ガラスが採用されキャビン形状も上すぼまりのものとなって、見ようによっては完全に異なる形となったのであった。このデザイン変更はなかなか好評だったようだが、当時のライバルは”白いクラウン”で大いに売ったS50型系クラウンだけに、やはり苦戦が続いたようだ。この状況は、1971年のフルチェンジで230型系へと進化することで大きく一変するのである。

良好なプロポーションを、微妙な修正でさらに完成度高く!
さて、130型セドリックの1/24スケール・プラモデルは、当時の三共によるキットが唯一のものであろう。このキットは実質的にはおよそ1/25であり、また「3 in 1」を謳っていて、まるでアメリカンカープラモである。ただしこの「3 in 1」はカスタムやレーシングにも作れるということではなく、年式とグレードの選択が可能という意味であった。具体的には、1966年型(最初期型)のスペシャル6とカスタム6、そして1967年型スペシャル6の3種類から選んで作ることが可能となっていたのである。

スペシャル6用グリルは両年式で共用する構成だが、実際にはこのふたつの年式では「SPECIAL 6」ロゴのデザインが異なる。また、1967年型のリアフィニッシャーにもあるべきこのロゴがなく、さらに「Cedric」のロゴ(右側)も位置が間違っていて、レンズ上にモールドされてしまっている。これらについて今回は自作デカール(秋葉征人/瀧上徳和の両氏協力による)で修正を行った。

また、このキットのプロポーションには少し違和感がある。1960年代の貴重なキットを今の視点で論っても詮ないことだが、このキットは当時のものとしては非常に秀逸な出来だけに、「もう少しこうであれば」と思わされる点がいくつか存在しているのだ。具体的には、サイドウィンドウの大きさ・形やホイールベースからすればこのキットのスケールは1/25なのだが、そうするとリアオーバーハングが2~3mm短い。130セドリックはキャビンフォワード的プロファイルが特徴だが、その点が掴みきれていない印象だ。

また、フロントマスクもライトベゼルの形と大きさ・高さ、ボディおよびバンパーのコーナー部分の丸みなど、各部のバランスの詰めが甘いようである。これは当時の成型技術の限界も理由ではあるだろう。今回は貴重な元キットの持ち味を壊さず、しかしこれらのポイントについて改修を試みてみた。なお、使用したキットは、「モデルカーズ」誌の熱心な読者の方の所有品で、氏からぜひ特集の作例に使用してほしいという申し出があり、同誌267号の特集用にこの作例が実現したという経緯がある。当サイトでの再掲にあたって改めてお礼を申し上げておきたい。

投稿 50年以上前のプラモを蘇らせる魔法とはいったい何か?三共製「130セドリック」に新たな息吹を!【モデルカーズ】CARSMEET WEB に最初に表示されました。