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すでに遠い昔のように感じるが、今年8月のペロシ訪台をめぐる騒ぎを覚えている方もいらっしゃると思う。あの夏の日、日本では故安倍元首相の「台湾有事は日本有事」という言葉を元に、「今まさに危機が高まっている」と考える専門家たちの意見が、メディアで多く取り上げられていた。

8月、ペロシ議長と会談した蔡英文総統(蔡氏ツイッターより)

ところが戦略家として知られるエドワード・ルトワックは、持論として「台湾有事の危機は起こらない」と一貫してツイッターなどで指摘し、話題になっていた。

なぜルトワックはそこまで断言できたのか? 彼なりの論拠はいくつかあるようだが、そのうちの一つの前提は「中国は国外への経済依存度が高すぎて、戦争できない」というものだ。

ルトワック氏(DLuttwak /Wikimedia CC BY-SA 3.0)

人民解放軍は「張り子の虎」か?

中国は以前の台湾海峡危機、とりわけ毛沢東時代のそれとは違って海外への経済(とりわけ飼料などの農産物)への西側への依存度が上がっており、西側との戦争開始は中国の即死を意味する、だから戦争ができないし、北京はそれを知っているので、確かに大騒ぎはするが、それでも実際にはほとんど何もできないというのだ。

実際のところ、ルトワックの見通しは概ね正しく、CIAや専門家筋が恐れていた人民解放軍の台湾や西側への軍事的な嫌がらせのエスカレーションは最小限(といっても日本の排他的経済水域には弾道ミサイルが5発も着弾したが)に収まっており、米議員の訪問や海軍による台湾海峡への航行の自由作戦は続けられている。

つまりペロシ訪台後、中国はそれほど事態をエスカレートさせておらず、戦争を起こす気もなさそうであり、盛大な脅しだけが虚しく残ったということだ。人民解放軍の実行力も未知数だ。

だが果たしてルトワックが言うように、中国は本当に戦争ができない国なのだろうか?さらに人民解放軍は、「盛大な脅し」で自らを大きく見せているだけで実力が伴わない、いわば「張子の虎」なのだろうか?

中国軍 лександр Семенов/iStock

戦略家に必要なこととは

もちろんCIAが「中国は戦争できる」という前提から「今後は対応を激化させる」という誤った分析を正確に政府へ伝えてしまったのは、やはり「失敗」といえよう。情報機関は思い込みではなく、なるべく客観的に真実と思われる情報を政府首脳らに伝える義務があるからだ。

だが戦略を担当する人間や国防関係者たちは、どう対応すればいいのであろうか。

その一つの答えが、日本の河野前統合幕僚長や、アメリカのインド太平洋軍のデービッドソン前司令官などの「中国は台湾侵攻をする」という数々の発言だ。

とりわけデービッドソン前司令官は、2021年の退任前の3月に、アメリカの上院軍事委員会の公聴会で「中国は6年以内に台湾を侵攻する」と発言して注目を集めた。この件は日本でもニュースになったので覚えている方も多いと思う。

これなどは、アメリカに批判的な態度をとる人々や軍事を忌避する人からは「戦争の危機を煽っている」と批判されがちであり、そう言われても仕方のない部分があると言える。だがデービッドソン氏のような発言は、彼らに課せられた任務としては極めて正しい態度であると言える。

中国の脅しは「額面通り」受け取るべき

なぜなら国防関係者、とりわけ軍のトップにいる人間は、国防的にはおしなべて「保守的」に考えなければならない存在であり、それが彼らの務めだからだ。

つまりたとえ人民解放軍が「張子の虎」であっても、中国側の発言や装備などのデータを、それこそ「額面通り」に受け取って備える、というのが戦略家と呼ばれる人間たちにとっての「正しい姿勢」だからだ。

当然、ルトワックも「中国は戦争できない」としつつも、アメリカや日本に対し「常に備えが必要だ」と付け加えることを忘れない

具体的にいえば、今回のようなペロシ訪台に関する北京からの脅しは本気であるとして、その脅しを額面通り受け取って、それに対して備える態度をとるのが戦略家としては正しいということになる。

pengpeng/iStock

備えがなくて負けるは恥、備えて勝つのは…

ここで、いざ紛争が起こったと仮定してみよう。そしてアメリカや日本が「張り子の虎」である中国の人民解放軍に対して「圧勝」してしまったとしよう。

それで誰が困るのかといえば、少なくとも台湾、日本、アメリカ側は、その誰もが困ることはない。少なくとも「こちら側」の誰にも迷惑はかからないのだ。

備えがなくて負けるのは恥であるが、備えをもって圧勝することは実に喜ばしいことなのだ。

だがここで疑問が生じる。これは「正しい情報」(i.e. 中国は戦争できない)と「相手のプロパガンダを信じて備える」ことは矛盾しないのであろうか?

要するにこれは、相手のウソを信じてしまった、もしくは余計に軍備に血税を注ぎ込んで国民に迷惑をかけたことにはならないのか、ということだ。

だがその答えを端的にいえば、「中国は戦争をできない」と認識することと、それでも戦争を仕掛けてくるものと仮定して備えることは、国防的な態度としては全く矛盾するものではない、ということだ。

「相手を抑止したいなら本気で備えろ」

「抑止」という観点からも、こちらが「相手は戦争を起こす」と考え本気で対抗して備えれば、北京が作戦の実行(最悪の場合は台湾への軍事侵攻など)を思いとどまる確率は上がる。

戦争研究の泰斗、故マイケル・ハワードは、相手を抑止しようするのであれば本気で戦える状態になければならないと説いている。

もちろん政治的・予算的な制限はあるのだが、国防を考える人間のとるべき態度というのは、やはり相手の能力を見くびらずに備える、ということに尽きるのではないだろうか。