沖縄で「政変」が起きた。玉城デニー知事の支持基盤である「オール沖縄」系の有力政治家で、今期限りで引退する那覇市長の城間幹子氏が12日、近く行われる那覇市長選(16日告示、23日投開票)で、オール沖縄の候補ではなく、自民・公明が推す前副市長の知念覚氏を支持すると表明した。城間氏は同日、知念氏の選対事務所を訪れて旗幟を鮮明にした。
今日は、城間幹子前那覇市長が応援に駆けつけてくださいました。苦楽を共に過ごした8年間を、城間市長の言葉一つひとつから思い出されました。
次は #知念さとる がそのバトンを繋ぎ、市民と心を一つに那覇の未来を作ります!#那覇 #那覇市 #那覇市長選挙 #知念覚 pic.twitter.com/DhxrzfpRdj— 知念さとる (知念覚)@那覇市 (@chinen_satoru) October 12, 2022
翁長元知事の同級生
県都のトップを決める那覇市長選は、今年の沖縄での政治決戦にあって9月の知事選に続く一大選挙。知事選でデニー氏が大勝で再選したことで、オール沖縄勢が市長選に弾みをつけたと思われた矢先での急展開となった。
城間氏は、かつてオール沖縄の支柱だった故・翁長雄志元知事が那覇市長時代に副市長を務めた。翁長氏とは中学・高校の同級生。大学卒業後は中学校の教員となり、那覇市内の中学校校長、在香港の日本人学校中学部校長を経て、翁長市政時代に市教委に入った。2010年副市長に選任された。
転機を迎えたのはその4年後、翁長氏が知事に転出した際、後継に指名される形でオール沖縄の支援を受けて市長選に出馬。圧勝で初当選し、ここまで2期務めてきた。
ただ今年1月で71歳。5月に「熟慮する中で次のリーダーに引き継ぎたい」と述べ、秋の市長選への不出馬を表明していた。
「寝返り」のワケ
不明ながら筆者も失念していたので、今回のニュースに驚いてしまったのだが、城間氏は引退を明らかにしてからは後継指名を避けてきた。普天間基地の辺野古移転には反対の考えである点から、県外から見るとオール沖縄が推す、翁長氏の長男、雄治(たけはる)氏(現在は県議)を指名するのが順当なはずだが、城間氏が選んだのは、自民・公明が擁立する知念覚氏だった。
知念氏は那覇出身で、沖縄大学卒業後の1985年に市の職員に。翁長市政では総務部長、政策統括調整監を歴任し、城間市政の2015年3月副市長となり、今年8月に市長選の立候補を目指して退職していた。
その仕事ぶりについて沖縄自民の関係者は筆者の取材に「8年間、城間市政の裏方で自民党本部本部や(安倍・菅)政権との交渉を知念氏が一手に引き受けていた」と振り返り、「知念氏がいなければ、城間市政は持たなかったとも言え、城間市長からの信頼は絶大だった。知念氏の後援会は市長を巻き込むことを想定していたようだ」と舞台裏の一端を明かす。
また、沖縄の政界事情に詳しい人物は今回の決断の背景として、行政経験のない翁長雄治氏の能力・経験不足への不安があったとの見方を示した。ヤフーニュースではなぜか削除されているが、折しも翁長雄治氏は12日の記者会見で、3年前に飲み会の席で女性に「AV女優に似ている」との発言をしたことを認めたと地元紙で報じられた。脇の甘さがあるとの見方を裏付けた格好だ。
「逆回転」が始まった
いずれにせよ、城間氏が敵方に「寝返えられた」オール沖縄には動揺が走っている。市政では「与党」になる市議団は13日、市長に抗議文を直接手渡し、「支持表明を撤回して私達を支えてきたオール沖縄の原点に立ち返って欲しいと思います」などと訴えた。これに対し、城間氏は「翁長雄志さんがオール沖縄を形成して出発したあの時に戻りたい」と突き放してみせた(参照:沖縄テレビ)。
「あの時」とは、おそらく保革の枠を超えて基地問題を打開しようと結集した当時のことであり、左派色を強め、経済界の支持も離れていく近年のオール沖縄勢力への苦言を呈したと言える。それは沖縄政界全体としても、血縁や地縁、利権などよりイデオロギー的な対立が強まってきた構図そのものでもある。今回の「政変」で未解明の真相はまだありそうだが、少なくとも近年のそうした傾向からの「逆回転」が始まったとも言えそうだ。
いずれにせよ、デニー知事にとっては、2期目をスタートしたばかりで足元で大きな暗礁に直面した格好だ。基地問題などで国の外交・安全保障政策に一定の影響を与えてきた沖縄政界の向こう数年の行方を占う上で重要な市長選の行方はどうなるのだろうか。