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11月21日(月)放送の『激レアさんを連れてきた。』は、元サッカー日本代表の内田篤人とロバートの秋山竜次をゲストに迎え、「20年前の日韓ワールドカップで本当は呼ぶつもりがなかったのにカメルーン代表をおもてなしするハメになった中津江村の人」を紹介する。

やって来たハセさんは、実は20年前にメディアによく登場していた人物。

2002年に日本と韓国で開催された『FIFAワールドカップ』の時に、カメルーン代表を迎え一大フィーバーを巻き起こした中津江村で招致に邁進した人物なのだ。

20年前のことだが、内田は「覚えています」としっかりと記憶。当時中学生だった内田はもちろんサッカー少年で、流行した“ベッカムヘアー”もマネしていたことを告白する。

中津江村は、福岡空港から車で2時間、最寄りの駅からも1時間。人口約600人で、大分県の山奥の秘境にある村だが、いったいどのようにして、カメルーン代表を迎え入れたのだろうか?

そもそものきっかけは、村に観光客を呼びたいと思ったハセさんの思いつきだった。

村のスポーツセンターを改修したいと熱望していたハセさんは、あるお知らせを受け取る。それが「日韓ワールドカップのキャンプ地募集」。

ワールドカップのキャンプ地は、全国の市町村から条件に当てはまった候補地を決め、その中から海外の代表チームが視察に来て選ぶという流れ。内田からも、自身が出場したブラジルワールドカップ時のエピソードが語られる。

ハセさんは、このキャンプ地候補に迷わず応募。しかし実は、カメルーン代表を呼ぶつもりはまったくなく…!?

20年越しに語られるハセさんの当時の思いを聞いた若林・内田も思わず驚がく! いったい何が――?

そして、運命のいたずらから、実際にカメルーン代表がキャンプ地として中津江村を選んでしまったから、さぁ大変!

全キャンプ地の中で唯一の“村”であったことからメディアからも大注目されて…。ここからハセさんの大奮闘がはじまるのだが、「すごいですね」と内田も感心。

練習グラウンドの芝のコンディションからプールの水の温度、宿泊所の寝室のクオリティに至るまで、カメルーン側から来たたくさんの無茶なリクエストに応えようと、驚きのアイデアと驚異のポジティブ精神で挑んだハセさんのパワープレーとは?

ほかにも、急に連絡が取れなくなったカメルーン代表に直接会いにアポなしで単身カメルーンに飛んだ際の激レアエピソードや、当時日本中を騒がせた“カメルーン代表が来日しない事件”などの真相も明かされる。

また、内田からはワールドカップ出場国にありがちなお金の事情の話も。

20年前、山奥の小さな村で起きたドタバタ奮闘劇。最後は内田も、「こういう方のおかげで日本サッカーはできている。感動いたしました!」とハセさんに大きな賛辞を送る。