マンガ家、ふじいむつこさんが尾道に暮らす人々を描く「尾道日々是好日」。最終回は、コンビニエンスストア「ポプラ久保店」の話。尾道駅周辺で初めてできたコンビニとして、開店から30年、尾道に暮らす人々の暮らしを支えてきた。そんなポプラ久保店は地域の人にとって、ふじいさんにとってどんな存在なのか?
尾道の日常を支える小さな灯りのお話
私が住むシェアハウスのすぐ近くにコンビニがある。ポプラ久保店だ。営業時間は7時から23時まで。東京に住んでいたときはコンビニは24時間営業なのが当たり前だったので、最初は少し戸惑ったものの、慣れてしまえばなんてことはない。気づけば日に3度買い物をすることもあるほどお世話になっている。尾道一の繁華街、新開地区にあるため、夜に飲み帰りの人を待つタクシーがポプラの前に列をなすのは、もはやおなじみの光景である。
開店して30年が経つというこのお店は、実は尾道駅周辺で初めてできたコンビニだ。だからお客さんは観光客が多いのかと思いきや……。
「実はね、地元のお客さんの方が多いんですよ」
そう語るのは現在店長の藤井悦子さんである。悦子さんは尾道市のお隣、三原市出身だ。実はずっと三原市にお住まいで、お店には電車と自転車で通っていた。「今になってね、なんで三原で始めんかったんじゃろって言ったり思ったりもするんです」と笑いながら話す。
もともとスーパーかパン屋さんだった場所に、旦那さんが脱サラ後、ご縁があって始めたのがきっかけだ。最初は様子見していた悦子さんだったが、開店して3年ぐらい経った頃から、お店を手伝うようになった。当時、新開地区は朝までにぎやかな夜の街で「恐ろしかったですよ」と言う。6〜7年前に旦那さんが体調を崩して以来、悦子さんが代わりに店長を務めるようになった。
現在は、悦子さんも持病のことがあり、店頭には立っていない。今回の取材も一緒に働いている娘さんを通して連絡をとり、電話で取材を受けていただいた。
先述のとおり、お客さんは地域のお客さんが多いらしい。作業着姿のおっちゃんたちがご飯を買いに来たり、学校帰りの学生が店先でじゃれ合っていたり、トイレットペーパーなどの生活用品を買い込むご老人の姿などをたしかによく目にする。
私もこのお店でたくさんのものを買ってきた。同居人と夜な夜な買ったアイスやお酒、夏には花火、ひさしぶりに吸いはじめたタバコ、元気のないあの子に買ったチョコレート、兄に頼まれたアイスコーヒー、スーパーで買い忘れてどうしても必要だったうどんスープの素……1回、1回すべてを覚えてはいないけれど、このお店に何度助けられたことか。
「助けられたことか」なんて言うが、実際はその存在が当たり前すぎて、ありがたい気持ちが薄くなってしまっているのもまた事実だ。それでも私はこのお店に不思議な愛着がある。
「お兄ちゃん、元気にしようる?」
「あそこの店主さん、髪切ってイケメンになっとったわ」
そんなスタッフさんとのささいなやりとりに心がほぐれる。かといって、なれなれしすぎることもない絶妙な距離感。
「常日頃から言っているわけではないんだけど『地域のお客さんを大切にね』とは伝えているんです」と悦子さんが言うように、店内はいつもどこか和気あいあいとした温かな雰囲気に包まれている。スタッフ同士の仲がよく、長く勤めてくれていることも助かっているそうだ。「人がいないとできない商売ですよ」という悦子さんの言葉はお客さんにもスタッフにも向けられた言葉だろう。
開店して30年。地震や豪雨に見舞われても、台風が来ようとも、万引き被害やお客さんとの小さなトラブルに悩みながらも、変わらずお店を開け続けてきた。変わらない日常を提供してきたとも言える。
だからこそ、悦子さんの姿が店頭で見えなくなったとき、日常にヒビが入るような、何かが崩れてしまうような気持ちになって、すごく動揺した。思わずスタッフさんに「店長さんって今どうされてるんですか?」と聞いてしまったぐらいだ。
今回の取材の電話口で久しぶりに悦子さんの声を聞いて、思わず目頭が熱くなった。体調を尋ねると「まあね、ぼちぼちね、やってますよ」と毎日のように聞いていたいつもの声で答えてくれた。心からホッとして、電話後静かに泣いた。「ああ、よかった。話ができてよかった」と心底そう思った。
悦子さんも70歳。一緒に働いている娘さんにお店は続けてほしいものの、無理はしてほしくないと言う。だから、自分たちがどれだけ援助できるかと考えているそうだ。
最近近くに新店のコンビニができた。そちらが開店したばかりのときはポプラに大量のお弁当やおにぎりが余っており、なぜか私までハラハラしたほどである。しかし、悦子さんは「でも、あちらはあちらで求められる層が違うと思うから」とあくまで冷静だ。その言葉どおり、オープンセールが落ち着くと、いつものリズムが戻ってきた。とはいっても、今後どこまでがんばれるかはわからない。
お店を続けていくということは、力のいることだ。簡単に「続けてください」と第三者が言えることではない。それでも変わらずあってほしいと無責任にも願ってしまう。一つのお店の灯りにたくさんの生活が照らされてきた。
せめてもの感謝の気持ちを込めて、このお店があることを書き残すことができてよかったと思う。
空が白みはじめてきた。
朝が来る。ポプラが開店する。音楽家は目覚め、佳扇にケーキが並ぶ頃、眼鏡屋の彼がお店に暖簾をかけ、あくびカフェーは開店し、新聞記者は走り、くみ取り車は街をかけていく。一楽でお腹を満たした旅人はゲストハウスに集い、スリッツに灯りがつく。そうして夜が更けて、また朝がやってきて、きっちゃ初から味噌汁の匂いが漂う。
一つのお店がはじまり、一つの人生が終わりながら、朝がまたやって来る。
変わらないものと変わっていくもの、なくなっていくものと生まれてくるもの、その狭間で今日も一日が過ぎていく。
おわりに
尾道に来て、もう少しで丸2年になります。引っ越してきたときの自分より、今の自分が好きだと胸を張って言える自信はないけれど、少しは人間らしく生活しているように思います。
あの店に行こう、このお店に行こうと思っていた半分も達成していません。足繁く通おうと思っていた商店街のスーパーは気づけば閉店していました。できるだけ小さなお店を応援したいと思いつつ、チェーン店の安さには気持ちが負けます。やりたかったことは口だけで終わっていることが大半です。そんなもんです。
でも、そんなもんでいいんだと思います。特別なことをしたり、始めたり、それがすべてではないと、この街に住むことで見えてきました。日々の生活はどちらかといえば地味です。通り一辺倒です。でも、そういった花のない日々を積み重ねることができることこそ、たまらなく愛おしいことなのではないでしょうか。
引っ越す前に思い描いていた生活とは少し違う、貯金は減る一方の少々先行き不安な日々ではありますが、東京にいた頃のような漠然とした、夜も眠れないような不安は薄まりました。バイト終わりに尾道水道を眺めるとき、家の前のカラオケスナックのおっちゃんに「ご苦労さん!」とビールを手渡されたとき、私はこの街に来て、住むことができて、よかったなとしみじみ思います。
そんな街が、暮らしが、あなたにもきっとあります。
最後になりましたが、いつもアドバイスをくれた兄とパートナー、更新日ギリギリまで(何なら過ぎたときもあった)付き合っていただいた白夜書房担当さん、拙い取材にもご協力くださったみなさま、本当にありがとうございました。描くときは1人ですが、1人では決して描くことはできない連載でした。携わってくださったみなさま一人一人、そして本連載を読んでくださったみなさま一人一人に、心から感謝を込めて。
2022年10月 ふじいむつこ
ふじいむつこ
1995年生まれ。広島県出身。物心ついた頃からぶたの絵を描く。2020年に都落ちして尾道に移住。現在はカフェでアルバイトしながら、兄の古本屋・弐拾dBを舞台に4コマ漫画を描いている。
Twitter:@mtk_buta
Instagram:@piggy_mtk
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