民主党の石井紘基衆院議員(当時、享年61)が右翼団体代表の男に刺殺されてから25日で20年を迎えた。
当時、党代表だった鳩山由紀夫氏が前夜にツイッターを更新し、石井氏の墓参に訪れたことを報告。「彼がやろうとしていた官制経済の利権構造の根本的改革の危険性を十分に理解せず、党代表として彼の命を守れなかったことを、今更ながら申し訳なくお詫び申し上げました」と投稿した。
官制経済の根本的改革
鳩山氏といえば政治家引退後のあまりの迷走ぶりに今や怒りを通り越して憐憫の眼差しで見ている人も多いだろう。泉下の石井氏もきっと大いに嘆いていたのではないか。
しかし、この日ばかりは何か石井氏の気迫のようなものが乗り移ったのか、ほんの一瞬だけ「正気」に引き戻したようにすら感じた。鳩山氏が言う「官制経済の利権構造の根本的改革」は、まさに石井氏の一丁目一番地の政策だ。
生前の石井氏は、高度成長期を経て肥大化した政治・行政権力の経済支配を問題視し、「政官権力の利益と既得権が貫徹している」と喝破。真の構造改革の断行による市場経済の確立を求めた。ここ最近話題の「外為特会」のように、今でこそ特別会計の存在が世の中に知られているが、「隠れ予算」として問題提起をした草分けの1人が石井氏だ。国が政府系金融機関などを通じて行う「財政投融資」も問題視し、特殊法人全廃を訴えた。
亡くなる1年前に誕生した小泉政権を石井氏は「偽物」と批判したものの、小泉首相の悲願だった郵政民営化の最大の背景は、財政投融資の改革だった。道路公団の膨大な借金の返済やファミリー企業の清算も、死去後に、猪瀬直樹氏主導で民営化という形で結実。ある意味で戦後の発展を作り出した田中角栄体制のアップデートだった。石井氏はその志半ばで倒れたが、その理念は後年のみんなの党や日本維新の会などの第三極の改革勢力にも継承されたといえる。
ガチンコ「小さな政府」論者
その遺著となった『日本が自滅する日』は今日もなお解決していない日本の病巣をすでに指摘している。「構造改革のための25のプログラム」を提案しており、大規模減税の実現を訴えている。そこでは、固定資産税、相続税の大幅減税を断行し、消費税の撤廃も含めた可処分所得の増加を図っている。
高齢化社会の本格化による年金問題を見越し、「年金資金運用基金を廃止し、国が直接管理する積み立て方式に改める」年金改革も減税策の一環で提言していた。ただし、その代わりに国債の新規発行をゼロにするという究極の緊縮財政を打ち出してもいるから本物の「小さな政府」論だ。
それにしても、だ。自民党から共産党まで「大きな政府」論者の政治家ばかりが跋扈する永田町にあって、よくここまで「小さな政府」論を声高に掲げる政治家となったのか実に興味深い。しかも若い頃は安保反対にデモに参加、社会党の江田三郎書記長に秘書として仕えた。さらに社会主義の「本場」ソ連時代のモスクワ大学にも留学している(その縁でロシア人女性とも結婚し、一女をもうけた)から、経歴と政治的信念との「ギャップ」の大きさが印象的だ。
留学した1965年のソ連はブレジネフ政権の初期だ。経済も社会もスターリン路線に回帰し、歴史的には「停滞」のイメージが強い。後年ほどの酷さではないにしても、抑圧的、統制的なソ連を肌で知るからこそ「市場の競争原理は抹殺され、価値の創出は減殺され、資本の拡大再生産機能が失われる」(著書より)社会主義の限界を思い知る原点になったのではないか。
いずれにせよ、『日本が自滅する日』は今日も改革派や減税派の「バイブル」として不朽の名作とも言える。しかし本書で提起された問題点の多くは進展したとはいえない。
石井氏は構造改革以外にも統一教会などのカルト問題に取り組んでいた。その旧統一教会をきっかけに安倍元首相が、石井氏の次に国会議員として暗殺され、国会がいまなおた統一教会問題で揺れ続け、改革は内憂外患なのに全く進まない。石井氏の死去から20年が経ち、平成の30年が過ぎても空転し続けている「虚しさ」だけが残る。