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ウェストミンスター寺院に運び込まれるエリザベス女王の棺(ロイヤルファミリー公式ツイッターより)

本サイト9月20日付けの記事(英エリザベス女王の国葬に日本でも感動の中、猪瀬直樹氏が語る「国家と国葬」)における、コピーライターの橋口幸生氏や猪瀬直樹元東京都知事の言葉にもあったように、この度の英国エリザベス女王の国葬儀は、その荘厳さと芸術的な演出という面において圧巻であった。

これこそが、一流の君主国家の体現であり、英国という国の品位と国家としての威厳をいやが上にも誇示することとなった。と同時に、間もなく「(国論を二分して)行われる安倍元総理の国葬儀がこれに比較されるのでは」との懸念が脳裏に浮かび、暗澹たる気持ちにさせられてしまった。

さて、この一連の英国の儀式の中でひときわ目を惹かれたのが、英国王一族の軍服姿であった。特に、2020年に個人的理由で王室を離脱したヘンリー王子が、葬儀に先立つ「女王の棺の不寝番」という儀式以外で軍服着用を認められなかったことなどから、この王族らが着用した軍服(礼装)に対する関心がより一層世界の人々の関心を惹くこととなった。

軍服姿のチャールズ国王、ウィリアム皇太子と礼服姿のヘンリー王子(写真:ロイター/アフロ)

なぜ、最上級の礼装が軍服なのか

西欧には、古くからノブレス・オブリージュ(noblesse oblige:仏語)という言葉がある。これは、「高貴な者には、それに応じた義務が求められる」というほどの意味であるが、英王室にはこの精神が徹底されており、その最たるものが、王族(特に)男子の軍務経験である。今回、軍服の着用を認められなかったヘンリー王子も、2005年から2015年までの約10年間陸軍で勤務し、アフガニスタンにおいてタリバン掃討作戦にも参加した経歴を持つ。除隊したときは陸軍大尉であった。

つまり、英国においては、国民の奉仕活動としてその最上級に位置するものが兵役なのである。だからこそ、この軍務で着用する軍服には特別な意味があり、最上級の礼装が軍礼服(Full dress uniform)なのである。

しかし、これは英国に限らない。およそ独立国家たるものは、その国の政治体制にかかわらず、国を守るために命を懸ける兵役は最も崇高な任務として国民から尊ばれ、その功績(軍功)に応じた名誉を与えられる。そして、この証が勲章である。勲章の起源が中世ヨーロッパの騎士団にあるように、本来勲章とは戦士に与えられるものであり、今でも世界の国々では、現役の軍人や兵士に対して優先的に勲章が付与される。米国などは、「大統領自由記章」を除けば、ほとんど全ての勲章は、軍の将兵が対象である。

以上のような歴史があるからこそ、今回のような儀式において軍礼服に着用される勲章は、他の礼服のそれと比較しても一段と映えるのである。

わが国が先の大戦後失ったもの

一方で、わが国を顧みると、明治維新の後、大日本帝国陸海軍創立(陸軍は明治4年、海軍は同5年)以降の「太政官達(明治6年12月9日)」によって、「皇族自今海陸軍ニ従事スベク被仰出候条此旨相達事 但年長ノ向ハ此限ニアラサル事」と、定められた。平たく言うと、「皇族方自らのご申し出により、年長者を除いて、今後皇族(男子)は陸海軍に従事するものとする」ということである。

これにより、皇族男子の軍務が義務化された。

東京・北の丸公園にある北白川宮能久親王像(Photo AC)

つまるところ、英国と同様にわが国においても、「ノブレス・オブリージュ」の精神のもと、皇族方は軍人としての勤めを果たされていたのである。これら皇族方の中には、「北白川宮能久親王」や「北白川宮永久王」のように、遠征先や訓練中に殉職された方もいらっしゃる。

まさにこの時代、世界各地で大国による植民地支配が進む中、わが国においても外敵と戦う任務の重要性は深く認識され、明治政府による「富国強兵」政策のもと、軍の将兵は国の宝という位置づけにあった。その後、日清、日露戦争を経て、大正、昭和と時代が変わっても、戦時平時にかかわらず、大日本帝国陸海軍とそこに勤務する将兵の地位がゆらぐことはなく、勲章についても英国や米国などと同様に、軍人や兵士がその功績に応じて最優先に授けられていた。

しかし、大東亜戦争の敗戦後、状況は一変した。それは、この大戦が(東京裁判などにより)軍部の暴走によるものと断罪を受けることによって、わが国は永遠の武装解除を強いられたからである。即ち、米軍による占領統治下で定められた日本国憲法(第9条)により、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とした上で、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と定めたのである。

国を守るための「軍隊」を持たないと決めたのだから、この憲法制定後に発足された自衛隊は「軍隊」ではないため、当然のことながら日本には今でも「軍服」がない。同時に、諸外国のように軍礼服に着装するべき「勲章」も、現役の自衛官がその功績に応じてこれを国家から授けられることはない。

自衛官も制服には、勲章のような徽章や色とりどりの略章を付けているが、これは「防衛功労賞」及び「防衛記念章」と呼ばれるもので防衛省が独自に制定した記章であり、これを自衛官らは「グリコのおまけ」と自嘲気味に呼んでいる。それは、これが「勲章もどき」だと分かっているからである。

ちなみに、自衛隊の階級も同様だ。自衛官らは、1佐は「大佐もどき」、1尉は「大尉もどき」、2曹は「軍曹もどき」だと感じている。これら全てが、この自衛隊という「似非(えせ)軍隊」に付きまとう悲哀なのである。

昨年11月、自衛隊観閲式での栄誉礼・儀仗を受けた岸田首相(官邸サイト)

自衛官に軍人としての矜持を

自衛官が叙勲されるのは、退官後数年から十数年も経ってからである。したがって、長年命を懸けて国に貢献してきたにもかかわらず、叙勲されないまま鬼籍に入る方も多い。また、勲章の格においても、自衛隊トップの統合幕僚長や陸・海・空自衛隊の各幕僚長でも各省庁の事務次官と同等。将官(将・将補)でも官僚である局長~課長級程度という低さである。曹(下士官)や士(兵卒)においては退官後も叙勲されることはない。これらも、「国家の軍隊」というお墨付きを与えられていない自衛隊というあやふやな組織の位置づけから生じていることは明白である。

叙勲の時期になると、わが国では国家や国益のためにさほど貢献したとも思えない(人によっては国益を阻害したと思える)ような政治家や首長らが、恥ずることなく分不相応な勲章を受章している姿を見かける。このような、わが国の不文律な報奨制度の有り様を見るにつけ、何ともやるせなさを感じてしまうのは、決して筆者だけではないだろう。

今般の英国葬儀を見て、多くの日本人がチャールズ国王をはじめとする王族方の荘厳な軍服姿の儀式に感銘を受けたならば、今一度思い起こして欲しいと思う。

わが国も、決して英国に引けを取らない立憲君主国としての歴史と伝統と文化が存在しているということを。そして、その歴史を通じた世界に冠たる建築技術と和洋取り混ぜた美術様式によって、明治以降も芸術的な儀式を挙行してきた実績があるということを。このようなわが国の貴重な遺産は、国民の手で今後も大切に守り育てていかなければならない。

エリザベス女王が崩御された2022年は、ロシアによるウクライナ侵略戦争が勃発。日本の目と鼻の先にある台湾有事の現実味が一層高まった。そうした中で願わくは、命を懸けて国を守るという奉仕活動の崇高さにあらためて思いを馳せ、自衛隊の国軍としての位置づけを憲法で明確に謳い、その名誉に応じた処遇を確立するということである。