もっと詳しく

《炭化したパン》ナポリ国立考古学博物館 Photo©︎Luciano and Marco Pedicini

古代ローマ帝国の栄光と繁栄のもとに栄えたイタリア南部の都市「ポンペイ」。79年のヴェスヴィオ火山の大噴火の影響で一昼夜にして街は消滅してしまうが、18世紀に遺跡が良好な保存状態で発見されると大きな注目を集めた。そんなポンペイの魅力を体験できる「ポンペイ展」が京都市京セラ美術館にて開催中だ(7月3日まで)。遺跡の膨大な遺物を所蔵するナポリ国立考古学博物館の協力で、本邦初公開を含む至宝約120点を公開。モザイクや壁画、彫像、貴金属といった美術品や街の邸宅を再現している。監修者である芳賀京子さんに本展の魅力と考古学の基本を聞いた。

まずは考古学の基本から。お宝発掘で一攫千金はありえる?

Photo©︎Luciano and Marco Pedicini

――考古学は大きく括ると歴史の一分野になるんでしょうか。

そうですね。過去を知るという意味では、歴史を探求する学問になります。ただ、学校で習ういわゆる歴史は文献資料によって研究しますが、考古学はモノ――遺構と遺物という考古学資料によって研究します。

「百聞は一見にしかず」と言うように、文字だけではわからないことがたくさんあります。たとえば当時のポンペイではどんな家に住んでいたのか、文献で読んでも具体的にはイメージしづらいですし、どんな技術が使われていたかもわかりません。ところが、掘り出したモノを見れば、実際に住んでいた様子がはっきりわかるんです。

――掘るにあたって、どうやって「ここにありそう」とあたりをつけるんですか?

何かがあったという記録が残っていることもありますが、古代ローマ時代の建造物は壁が高くて丈夫ですから、地表に見えていることがよくあるんですね。地面に古代の土器片が転がっていることもあれば、トラクターで土を掘り返していたら土器がいっぱい出てきたりすることもあります。

あるいは、地中にコンクリートの床が埋まっていると、地上までの土の部分が浅くなります。すると草木は根が深く張れないので、ほかと比べて生育が悪くなって低くなります。そういう場所は航空写真で撮ると一目瞭然なので、この下には遺構があるのではないかと考えますね。

――出土した遺構や遺物の年代はどうやって見分けるんでしょうか。

一番の指標になるのは土器です。土器は値段が比較的安くて、短いサイクルで捨てられます。土器は大量にありますから研究が進んでいて、「この形は何世紀ごろのものだ」とわかっているんです。ですから土器が出てきたとき、この地層はだいたいいつごろのものかわかるわけです。

――ちなみに、恐竜の化石を掘ることも考古学……?

掘ることは一緒ですが、研究対象が恐竜という古代の生物になるので生物学(理系)にあたります。一方で考古学の研究対象は遺物や遺構で、歴史学(文系)になりますね。

――映画『インディ・ジョーンズ』や徳川埋蔵金のような、一攫千金はありえますか?

宝物が出てくる可能性はあります。ただ、掘って出てきたものに関しては、見つけた人のものではなく、見つかった国のものになります。我々はイタリアで発掘をしていて、それなりの美術品を見つけることもありますが、それらはイタリアのものとなるんです。

――なるほど……。

我々は許可をもらって、掘って、研究させてもらっている立場です。そのため、最初に発見して研究できることがごほうびのようなものなので、値打ちのある美術品を手に入れるぞ!とは考えないですね。

――美術品として価値があるものと、考古学的に価値があるものは何が違うんでしょうか。

考古学的に価値があるのは、出土位置――出土コンテクストと言うんですけど――がちゃんとわかっているものです。たとえば、きれいな壺が出てきたとしても、それがどこから出てきたのかわからないと、誰が持っていたのかも、どんなふうに使っていたのかもわかりません。

それに対して、美術品は出土コンテクストよりも、状態がきれいなものに価値の重点が置かれます。その壺がきれいな状態だったら、マーケットでは高く売れるかもしれませんよね。考古学的にはそれがたとえ割れていても価値は変わらないんです。そうは言っても、芸術的価値が高いものが出てくればうれしいですけどね(笑)。

《バックス(ディオニュソス)とヴェスヴィオ山》フレスコ ナポリ国立考古学博物館蔵 Photo©︎Luciano and Marco Pedicini

――そのままの状態で見つかることはまれだと思いますが、欠けたものなどは復元するんですか?

復元しますよ。建物でも壺でも、一部分が欠けたままだと全体像がわかりませんし、強度も弱くなりますから。ただその場合は、修復した箇所がはっきりわかるようにしておきます。ほかの部分と明らかに違うことがわかるように少し色を変えたり、スベスベにしたりして。また、あとでやり直せるようにしておくことも大切です。ようするに、瞬間接着剤でくっつけたりしてはいけないんです。もし修復が間違っていた場合、やり直せなくなってしまいますから。

――過去にそういうミスがあったんですか?

有名なものでは、20世紀初頭に修復したパルテノン神殿ですね。鉄のかすがいで柱や梁をつなぎ、欠けた大理石のかわりにコンクリートを使ったんです。当時は最も進んだ技術だと思われていたからなのですが、しばらくすると鉄がサビて膨張してしまって。

その結果、コンクリは丈夫だからそのまま残るんですけど、大理石が割れてしまったんです。結局、すべて修復をやり直すことになりました。やはり修復は失敗するものなんですよ。新しい素材なんて、その後どうなるのか誰もわかりません。だからこそ、何かまずいことが起こったときに、しっかりやり直せる方法を採るのです。

――考古学資料としては破損させず当時のままに残しておくことが最も大事なわけだ……。

そうですね。ただその一方で、小さい遺物ならまだいいのですが、大きい建造物になると、その土地の人々にとっての価値も勘案しなければなりません。それこそパリのノートルダム大聖堂だって作り直すわけですから。

芳賀京子さん/東京大学大学院人文社会系研究科・文学部教授。博士(文学)。専門は古代ギリシア・ローマの美術史。著書に『西洋美術の歴史1 古代ギリシアとローマ、美の曙光』(中央公論新社/共著)、『ギリシア陶器』(中央公論美術出版/共訳書)がある

監修者が推す、ポンペイ展の見どころ

――ポンペイは当時、どういう場所だったんですか?

古代ローマ時代の地方都市ですね。地方の中で一番というわけでもなくて、2~3番目ぐらいでしょうか。それでも当時のイタリア半島の都市は、地中海全体で見るとすごいお金持ちなんですね。その上、ポンペイはローマ征服以前には独自に繁栄していて、それはヘレニズム時代の様式で改装された住宅や美術品が見つかっていることからもわかっています。

――そのポンペイは、79年のヴェスヴィオ山の噴火によって1日にして火山灰で埋もれてしまったんですよね。幸か不幸か、そのおかげでポンペイという街がかなりよい状態で残されていると。

古代ローマの都市でここまで保存状態がよく、トータルで出土するのはヴェスヴィオ山周辺だけですね。そのおかげでポンペイの街全体の生き生きとした姿がわかりますし、一般的な古代ローマ人の生活様式を多面的に捉えることもできます。

ヴェスヴィオ山周辺の遺跡

――考古学的にはどういう立ち位置なんでしょうか。

王道中の王道ですね。今回は展覧会のタイトルにあえて「ローマ」を入れなかったんですが、想定以上の人にお越しいただいています。特にこれまでポンペイになじみのない、若い方が多いですね。SNSで話題になったのが大きかったのかもしれません。

――その中で何か意外な反応はありましたか?

「ヘルマ柱型肖像」に多くの方が驚かれたようですね。ローマの肖像の一形態なので、私はごく自然にラインナップに加えたんですけど、来場者の皆さんには衝撃的だったみたいです。

《ヘルマ柱型肖像(通称「ルキウス・カエキリウス・ユクンドゥスのヘルマ柱」)》ナポリ国立考古学博物館蔵 Photo©︎Luciano and Marco Pedicini

――たしかに、相当なインパクトがありますね。ただ一方で、2000年前なのに現代でも通用するものも見受けられます。

「まったく古くない、今と同じじゃん!」という驚きはありますね。水道のバルブは現在と同じ仕組みですし、彫刻も18~19世紀の作品と言われても納得してしまうほどのものもあります。

――展示作品約120点というのは、これまで見つかった遺構、遺物のうちのどのくらいにあたるんでしょうか。

ほんの一部です。これまでにすごい量が発掘されていて、ポンペイの街1つを展示しようと思ったら、大きい博物館が立つぐらいです。

――それほど膨大な点数の中から、どういう基準で選んだんですか?

一つは、人々の暮らしがわかるように町の中の公共施設を紹介することです。劇場や闘技場、神殿といった公共施設やインフラにまつわる作品を展示することで、どんな街だったかを紹介しています(第1章 ポンペイの街―公共建築と宗教)。もう一つは、ポンペイの市民の暮らしぶりです。解放奴隷がビジネスで成功した例や女性の活躍も見られました。出自に関係なくチャンスがあった、古代ローマ社会の一面を示す作品を選びました(第2章 ポンペイの社会と人々の活躍)。そして、庶民の暮らしはポンペイ一番の鉄板なので、これもはずせなかったですね(第3章 人々の暮らし―食と仕事)。

《青い水差し》ガラス ナポリ国立考古学博物館蔵 Photo©︎Luciano and Marco Pedicini

《仔ブタ形の錘》ブロンズと鉛 ナポリ国立考古学博物館蔵 Photo©︎Luciano and Marco Pedicini

――ポンペイ遺跡で有名な3つの邸宅も再現・展示されていますね。

「ファウヌスの家」「竪琴奏者の家」「悲劇詩人の家」ですね(第4章 ポンペイ繁栄の歴史)。これらを選んだのは、ポンペイが歴史を持った町であることを示すためです。ローマに征服される前の時代(紀元前80年以前)と征服された後の時代(紀元前80年以降)、そして噴火直前期(紀元後79年)という3つの時代を代表するような家を復元しました。

特に「ファウヌスの家」はポンペイ最大の邸宅で、紀元前2世紀末に大きく改装されました。この時に床面に敷かれたのが、教科書にも載っている「アレクサンロドロス大王のモザイク」です。ポンペイが最も輝いていた時代の美術品で装飾された家で、ローマ征服後もそれは変わりませんでした。

《アレクサンドロス大王のモザイク》ナポリ国立考古学博物館蔵 Photo©︎Luciano and Marco Pedicini

※参考画像。本作は出品されません。レプリカ・映像のみでの紹介となります

――ということは200年近く、古い時代の内装のままだった?

そうですね。当時の住宅は、新しい様式に改装することぐらい簡単にできました。没落したわけでもなかったので、古い様式のものを積極的に残した。その上、ラテン語に吸収される前のオスキ語で書かれた碑文も見つかっています。ここから、ローマ人に征服される前のポンペイの人間なんだという誇りが感じられますよね。

「ファウヌスの家」から出土した遺物を展示/京都展展示風景

――先生の個人的なオススメも教えてください。

モザイクは近くで見てほしいですね。一般的なモザイクって、1センチほどの石が埋まっているのをイメージされると思いますが、絵画と見間違えるぐらいに細かいものがピシッと埋まっているんです。遠くから見るだけだと、絵画だと勘違いしてしまうかもしれません。

それと、「悲劇詩人の家」では接客や商談が行われていたアトリウム(広間)を再現しているのですが、床に青い部分があります。これは水盤と言います。ポンペイは家がギッシリ建っていたので、外側の窓がほとんどないんですね。そのため、真上が天窓状に空いていて、雨水が貯まるようにしていました。それなりに裕福な家では一般的な広間のつくり方になっています。

《猛犬注意》モザイク ナポリ国立考古学博物館蔵 Photo©︎Luciano and Marco Pedicini

「悲劇詩人の家」を再現展示/京都展展示風景

最後にポンペイのこれからと、歴史を学ぶ意義を

――ポンペイはまだ研究が進んでいるんですか?

研究は進んでいて、新しいこともわかっています。たとえば、これまで噴火日は8月24日とされていたんですけど、最近は10~11月だろうと言われているんです。というのも、10月に書かれたと思われる落書きが見つかったんです。

それ以外にも、葡萄酒の仕込みが終わっていたり、果物の収穫が終わっていたり、避難する人が厚着をしていたり。いろいろな証拠から10~11月にも人々が生活していたことがわかってきたので、本展でも「8月24日」という表記をやめました。

――現地のポンペイではずさんな管理で荒廃が進んでいるという記事を見たのですが……。

発掘っていうのは、それ自体がもう破壊行為なんですよ。そのまま埋めておけば2000年は問題なく保存されているんです。でも発掘した瞬間から、劣化が始まるんですね。18世紀に見つかったフレスコも壁全体のきれいなところだけをくり抜いて、それ以外はそのまま残されてしまった。今ではもう何も見えません。やはり外気に触れるというのは危険というか、破壊なんです。

――研究者は知りたいけど壊してもいる、という複雑な心境?

そうですね。ですから、昔は王様が「自分のコレクションを増やしたい」といった気持ちで掘らせていましたけど、今は必要最小限、ゆっくり進めるようになっています。ポンペイもまだまだ発掘してない地域はあるんですけど、ここで一気にやってしまうと破壊するだけなので、保存・修復できるようなペースで行われています。ひょっとしたら未来に発掘技術が進むかもしれないし、そのときのために少しは残しておくべきだと。

――考古学は過去を知ることと最初におっしゃっていました。先生にとって過去を学ぶ意義は何でしょうか。

今の自分たちの基準が唯一のものではない、と知ることですね。これだけ歴史は変わってきたのだから、自分が正しいとかこれが唯一の正解なのではなく、今も過渡期なんだろうなと捉えることができます。今の我々の価値観だって、100年後や200年後、あるいは1000年後の人たちから見れば、「あの時代は野蛮だった」と言われるかもしれないですよね。

――たしかに。考古学的にも「そこ、鉄とコンクリで補修するなよ」でしたもんね。

そう、たかだか100年前に「えぇ!?」と思ってしまうことをやっていますから。結局、今の我々の価値観が古代にも当てはまるとは限りませんし、いろいろと移り変わっていくものなんだなとつねに感じています。


ポンペイ展

会場:京都市京セラ美術館

会期:2022年4月21日(木)~7月3日(日)

休館日:月曜日

開館時間:10:00~18:00(17:30受付終了)

観覧料:一般 2000円/大高生 1200円/中小生 800円/未就学児 無料

問い合わせ先:075-771-4334

展覧会公式サイト:https://pompeii2022.jp