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『ぷよぷよ』

ⓒSEGA

いよいよ収録タイトルが出そろった『メガドライブミニ2』の発売を記念した本連載。セガの奥成洋輔さんがメガドライブの歴史をたどります。第4回は1992~1993年。当時、世界規模で見ると好調だったメガドライブ。一方の日本市場では苦戦が続きます。その主な理由はソフト不足? 当時ブームだったRPGや対戦格闘ゲームに弱かった? ゲーム業界を一変させたあのアーケードゲームの登場や、セガでも10年早いと未発売で終わってしまった幻の周辺機器など、今回も情報量多めでお届け。

1992年、世界と日本で明暗が分かれたメガドライブ

 世界中で「家庭用TVゲーム」といえば任天堂だった80年代が終わり、1991年に『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』と価格で勝負に出たセガ。結果として北米市場で一矢報いることに成功し、「任天堂ではないゲーム機」の存在をアメリカで示すことができた。

『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』は91年度だけで、アメリカで160万本、日本で40万本、欧州で30万本、合計230万本が販売され、メガドライブでは断トツの歴代ナンバーワンヒットタイトルとなった(ちなみにメガドライブの普及が始まったばかりの欧州では、未だ8bit機のマスターシステムが人気で、マスターシステム版『ソニック』は欧州だけで50万本のヒットになっている)。セガにとっても、メガドライブにとっても、挑戦が実を結んだ年。それが1991年だった。

 そして1992年。この善戦の結果、これまで任天堂やPCエンジンにしかソフトを供給してこなかったゲームメーカーがメガドライブに興味を示し、より多くのタイトルが北米版メガドライブ「Genesis」へ供給されるようになった。メガドライブの主戦場はアメリカに移されたとも言える。

 発売されるソフトの種類も1992年以降アメリカが日本を逆転し、北米では毎年100本以上のゲームがリリースされるようになった。当然、北米でしか発売されないメガドライブ(Genesis)用ソフトが増えてくる。

 そんな中、日本の東京・秋葉原や、大阪・日本橋ではある売り場が誕生していた。「輸入ゲーム売り場」だ。1990年にスーパーファミコンのロンチソフトとして話題を呼んだ『ポピュラス』は斬新なゲームとして話題となったが、北米ではスーパーファミコンよりも早く、Genesisで発売されていたということが雑誌などで話題になっていた。

『ポピュラス』

※画面はメガドライブミニ2のものです

ⓒ1989, 2022 Electronic Arts Inc.

Populous is a trademark of Electronic Arts Inc.

 そこで一部のゲームショップがこのメガドライブ(Gensis)版『ポピュラス』を取り寄せて輸入販売を始めたところ、これがスマッシュヒット。店はさらにさまざまな輸入ゲームを扱うようになり、数十本のGenesisのゲームが店に並ぶようになった。

 当時、渋谷や新宿では、タワーレコードやHMV、WAVEなどが輸入CDを扱い、多くの音楽ファンが買い求めていたのだが、同じように秋葉原では、正体不明の海外ゲームを店の簡単な紹介文とパッケージイラストだけで「ジャケ買い」して未知のゲームを探し出す行為が流行していた。

 そのうち買ったゲームの感想をミニコミ誌(いわゆる同人ペーパー)などで共有を始めるようになり、日本のセガファン・メガドライブファンが、どんどん深いところへ進んでいったのもこの時期なのかもしれない。

 そんな世界規模での好調とは裏腹に、日本のメガドライブの1992年は苦難の年でもあった。それを象徴する存在が「メガCD」だ。1991年末に発売されたメガドライブのパワーアップユニット「メガCD」は、待望のCD-ROMドライブ、増設された高速CPUに加え、ライバル機であるPCエンジン・スーパーCD-ROM2の3倍となる6M bitの大容量RAMを搭載するなど、メガドライブファンの心をつかみ、他機種を圧倒する盤石の性能で発売された。

 ところがいざ発売してみると、先んじて秋に登場したスーパーCD-ROM2とPCエンジンDuoの好調な販売とは裏腹に、1992年に入っても苦戦が続いた。その理由はシンプルで、ソフトがないからだ。

 1992年を通じて日本で発売されたメガCDのソフトはわずかに22本。対してPCエンジンのCD-ROM2ソフトは1992年だけで92本もあった。なおこの92本という数は、1988年に初めてCD-ROM2が発売されてから1991年までに発売されたCD-ROM2ソフトの総数と同じである(逆にPCエンジン本体のみで楽しめるHuカードのソフトは1992年内にわずか28本。PCエンジンユーザーは完全にCD-ROM2へと移行していた)。

 対応ソフトも『天外魔境Ⅱ 卍MARU』が3月、『スナッチャー』や『銀河お嬢様伝説ユナ』が10月、『ドラゴンスレイヤー英雄伝説II』が12月と、CDならではの大作RPGとアドベンチャーゲームが次々と発売され、CD-ROMの恩恵を存分に受けていた。メガCDは価格面でもソフト面でも、先行するPCエンジンに圧倒されていたのである。

 1992年の春には日本ビクターとセガから、メガCDの一体型マシン「ワンダーメガ」が登場したものの、CDカラオケ機能の追加などにより、それぞれ8万2800円、7万9800円という、メガドライブとメガCDの2台を足した合計額よりも高い価格だった。そのためライバル機のPCエンジンDuoのような大きな存在感は見せないまま、ひっそりと存在し続けた。

「ワンダ―メガ」

ⓒSEGA

RPGと対戦格闘ゲームブームの中心にいたのは……

 そして発売2年目を迎えた本命のスーパーファミコンは絶好調で、メガドライブはこれにも圧倒されていた。名だたるRPGだけでも1月に『ロマンシング サ・ガ』、9月に『ドラゴンクエストV』、10月に『真・女神転生』、12月に『ファイナルファンタジーV』と、これだけ出ている。これに加えて8月に『スーパーマリオカート』があり、6月にはあの『ストリートファイターⅡ』が発売された。

 1991年の3月にアーケードで登場した『ストリートファイターⅡ』は、対戦格闘ブームの始祖となるタイトルだ。CPU戦ではなく対人戦のおもしろさに皆が気づいてからは、さらにその人気を伸ばし、ゲームセンターで初めて見知らぬプレイヤー同士の対戦が行われるようになった。これにより、「インベーダーブーム」以来のゲームセンターのプレイ風景を一新させた。

 スーパーファミコン版はアーケードの登場から1年以上経っていたが、ゲームセンターの人気はまったく落ちることはなく、バランス調整版である『ストリートファイターⅡダッシュ』が1992年4月に登場し、いっそう盛り上がっていた。

 このスーパーファミコン版『ストリートファイターⅡ』は対戦格闘ブームをさらに拡大させ、このスーパーファミコン版は最終的に国内だけで300万本。海外でも300万本、計600万本の大ヒットとなった。家庭用で遊べるのはスーパーファミコンだけということで、ファンは本体とともに買い求めた。

 家庭用ゲーム機の高性能化とともに一層の人気ジャンルとなったRPG、そして新たな対戦格闘ゲームの台頭。このブームの中心にいたのがスーパーファミコンだったのだ。

 一方でブームの去っていったジャンルもある。かつてアーケードの花形だったシューティングゲームがそうだ。メガドライブは7月、かつてメガドライブの性能を初めて引き出した花形タイトル「サンダーフォース」シリーズの最新作『サンダーフォースⅣ』が発売された。同時期にはPCエンジンでもキャラバンシューティングの集大成『ソルジャーブレイド』も発売されているが、どちらもその完成度の高さとは裏腹に販売では苦戦。ともにシリーズを一時終了させることになる。

『サンダーフォースⅣ』

※画面はメガドライブミニ2のものです

ⓒSEGA

 また定番であるアクションゲームも人気に陰りが出てきた。メガドライブは『ソニック』に続き、メガドライブユーザーをさらに獲得すべく、4月に『まじかる☆タルるートくん』、7月に『炎の闘球児ドッジ弾平』をそれぞれ3880円という、かつてない低価格でソフトを発売し、低年齢層の獲得を目指したが、まずメガドライブの本体2万1000円のハードルが越えられなかったのか、大きな話題にはならなかった。

1992年の東京おもちゃショーで『炎の闘球児ドッジ弾平』や『アイルトン・セナ スーパーモナコGPⅡ』で試遊する来場者(画像提供:セガ)

 この年のメガドライブのヒット作は、前項でも紹介した『シャイニング・フォース 神々の遺産』が3月。7月に『アイルトン・セナ スーパーモナコGPⅡ』、10月に『ランドストーカー 皇帝の財宝』などがある。やはりメガドライブでもRPGが欲され、レースゲームも人気だった。日本全体のゲームファンの志向は完全にRPG、できればアクションRPGやシミュレーションRPGではない、コマンドバトルのオーソドックスなRPGを求めているようだった。

『ランドストーカー 皇帝の財宝』

ⓒSEGA

 メガドライブでは、『LUNAR ザ・シルバースター』が6月に発売となったが、これはメガCD向けで、そのときのメガCDの普及台数はわずかに20万台。これでは大きな存在感を示すことはできない。

 メガCDは北米市場でもSEGA-CDと名前を変えて、10月に発売された。年内だけで30万台と日本以上の数を販売したものの、その後はやはり日本と同じく価格がネックとなり、ソフト不足へと連鎖して苦戦した。

『LUNAR ザ・シルバースター』

※画面はメガドライブミニ2のものです

ⓒ1992 GAME ARTS

キャラクターデザイン/窪岡俊之

 というように厳しい1992年ではあったが、最後に希望の見えるタイトルが登場する。12月に発売された『ソニック・ザ・ヘッジホッグ2』と『ぷよぷよ』だ。この2タイトルはその後もメガドライブを語る上で重要な、ハードを代表するタイトルになっている。

 特に、日本のセガからアメリカのセガ=SOAに移籍した中裕司氏が、アメリカに日本のスタッフを招聘して開発した『ソニック・ザ・ヘッジホッグ2』は、12月発売ながら初年度全世界500万本という高い目標を掲げて全世界同時発売された。前作以上のプロモーションも功を奏し、予定を100万本上回る、600万本の大ヒットとなる。Genesisはこの年だけでさらに400万台を売り、700万台まで普及。日本のメガドライブも300万を目指していた。

『ソニック・ザ・ヘッジホッグ2』

ⓒSEGA

『ソニック・ザ・ヘッジホッグ2』発売時の模様(写真提供:セガ)

 全世界規模では好調だった1992年のセガを締めくくったのは、12月に両国国技館で行われた「遊星セガワールド」というイベントだ。1万2000人のファンを招待して行われたこの催しは、日本のセガの歴史上では初めての大規模イベントだろう。

 『ソニック2』の発売を記念した大展示会で、メガドライブの最新ゲームが体験できるだけでなく、最新のアーケードタイトル、アイドルによるステージの歌や演奏、そして24社ものサードパーティーの新作タイトルも展示された。その中には新たな参入メーカーとして、あのコナミの姿もあった。

 翌1993年は日本のメガドライブにとっての人気のピークであり、名作タイトルが多数発売されているが、それをいち早く体験できたのがこの「遊星セガワールド」だったのだ。

「遊星セガワールド」(写真提供:セガ)

業界を一変させたアーケードゲーム『バーチャレーシング』の登場

 そして、その後のゲーム業界を一変させるきっかけとなった歴史的なタイトルが、この年セガから登場している。アーケードゲーム『バーチャレーシング』だ。1992年3月、セガは「MODEL 1」基板を発表し、8月に『バーチャレーシング』(VR)として正式登場させた。セガで初めての本格的な3Dポリゴンのレースシミュレーションゲームだった。

 もちろん業界全体で見れば3Dポリゴンのゲームはこれが初めてではない。アーケードのライバルであったナムコは80年初期からポリゴンの研究を続けており、レースゲーム『ウイニングラン』としてリリースしたのは1989年のことである。同時期にはアタリから『ハードドライビン』も出ており、メガドライブにも移植されている。『スタークルーザー』(1988年)というPC、メガドライブで発売された傑作アドベンチャー&シューティングもある。

 それらのタイトルから3年以上後に出た『バーチャレーシング』が、これまでと圧倒的に異なっていたのは、箱庭世界の存在感、描画の滑らかさの違いであった。本作が3月に初公開されたときのタイトルは『BV』だったが、これは「Beautiful Visual」の略だ。『バーチャレーシング』の世界には、コースの中に美しい森があり、遊園地があり、海や山があった。過去、そういったCGビジュアルで日常的な風景を忠実に再現し、動かせ、30fpsで描画されるというものは世界でも初めてのことだったのだ。

 セガの技術力の粋を集めたMODEL 1タイトル『バーチャレーシング』は大ヒット。翌年の『バーチャファイター』を誕生させる布石となる。さらにその先の「MODEL 2」を生み出す、GE(ゼネラル・エレクトリック)とセガの技術提携も1992年10月のことであり、次世代ゲームの種は次々と撒かれ、またたく間もなく芽吹いていた。

1992年のJAMMAショーで展示された『バーチャレーシング』(写真提供:セガ)

 ちなみに、この流行に敏感に反応したのか、たまたまタイミングがあったのか、スーパーファミコンで1993年2月には『スターフォックス』がタイムリーに登場した。イギリスのアルゴノート社との共同開発の「スーパーFXチップ」という強化チップを搭載し、疑似的に3Dポリゴンのような画像を生み出すことができた。本作は『バーチャレーシング』以降の3Dポリゴンへの再評価の機運もあって高い評価を得、家庭用の3Dゲームでは初めての大ヒット作となっている。

 一方でスーパーファミコンのCD-ROMドライブについては、まだ発売延期を繰り返していたが、さすがに「どうやらこれは発売されなさそうだ」という空気が漂っていた。そんな追加周辺機器は出さなくても十分やっていけてしまっていることと、もちろんセガの苦戦も見ていたのだろう。結局次世代機の話が世の中をにぎわすようになって自然消滅するのだが、このCD-ROMへの敬遠姿勢が後に任天堂の次世代機「ニンテンドウ64」を生む。

1993年、熾烈なシェア争いの行方は

 さてセガの1993年最初のトップニュースは、アメリカで発表されたGENESIS(北米メガドライブ)の周辺機器「バーチャセガ」(夏にSEGA VRと改名)の発表であった。専用のヘッドマウントディスプレイとソフトをセットで、年末シーズンまでに発売するという。「Oculus VR」の19年前、「PlayStation VR」発売の26年前のことである。

「あれ? そんなもの出ていたっけ?」と思った人は正解。本商品は、最終的に実像も明らかにならないまま未発売で終わっている。セガでも「10年早いんだよ!」と直前で立ち止まるプロジェクトもあるのだった。

「SEGA VR」

ⓒSEGA

 4月にはメガドライブを廉価・小型化した「メガドライブ2」「メガCD2」が突如発売となった。価格はメガドラ2が1万2800円、メガCD2が2万9800円と、合わせて3万円弱の値下げだ。合計しても4万2600円と、最初のメガCDの定価4万9800円よりも廉価となったが、PCエンジンは3月に一体型であるDuoの廉価機「Duo-R」を3万9800円で発売していたため、やはりメガドライブのほうが少し高かった。

 セガはその後、「メガドライブ2+ぷよぷよ同梱版」のセット販売を日本でも始めるなど、メガドライブ2を活用し普及につとめた。

「メガドライブ2+メガCD2」

ⓒSEGA

 1993年には対戦格闘ブームにも動きがあった。3月にカプコンがメガドライブに参入を発表、『ストリートファイターⅡダッシュ』を6月に発売し、全世界のメガドライブで200万本を目指すという発表があった。北米でのGenesisの善戦のおかげである。本命タイトルの登場となり、メガドライブファンは沸き立った。

 ところが実際に6月に『ストリートファイターⅡダッシュ』が発売されたのは、PCエンジン向けのみだった(発売はNEC)。しかも翌7月にはアーケードの3作目『ストリートファイターⅡターボ』が、スーパーファミコン向けに発売された。追加技が加わり、ゲームスピードも変更できる『ターボ』発売直前に、2作目の『ダッシュ』を求めるファンは少なく、PCエンジン版は移植度の高さとは裏腹に当て馬のような扱いになってしまった。

 メガドライブ版『ストリートファイターⅡダッシュプラス』が発売されたのは9月になってからだったが、『プラス』というタイトルの通り、スーパーファミコン版ターボに加わっていた要素はすべて含まれていたため、結果として歓迎され成功を収めた。

 1993年のメガドライブはそのほか1月に『ベア・ナックルⅡ 死闘への鎮魂歌』、9月に『ガンスターヒーローズ』、10月に『シャイニング・フォースⅡ 古えの封印』、12月に『ファンタシースター 千年紀の終りに』が発売。どれもが全世界で好評を得る。

『ガンスターヒーローズ』は、コナミで『魂斗羅』シリーズなどを開発していたスタッフが開発会社「トレジャー」として独立し、メガドライブで突如デビューを飾ったタイトルだ。発売当時はノーマークだったこのアクションシューティングは、誰も見たことのない、プログラムを駆使した奇抜な演出と、プレイの爽快感でヒット。トレジャーはその後のタイトルでもメガドライブの性能の限界に挑戦しているというのが話題で、大きな盛り上がりを見せた。

『ガンスターヒーローズ』

ⓒSEGA

 またソフト不足にあえいでいたメガCDも1月に『ゆみみみっくす』、4月に『ファイナルファイトCD』、7月に『シルフィード』と『3×3 EYES』、9月に『ソニックCD』、11月に『ナイトトラップ』、12月に『夢見館の物語』と、ゲームアーツのタイトルを軸に話題作がテンポよく発売されていき、通してメガドライブに明るい未来を感じる年となった。

 ちなみに、名物広報として話題となる竹崎忠氏がセガに入社したのもこの年の4月である。メガドライブ好きが高じてグループ会社からやってきた竹崎氏とともに、家庭用向けのパブリシティチームが(ようやく)誕生したことで、セガの専門誌が、ライバルハードの専門誌よりも内容が深く濃くなっていくのも、必然であったのかもしれない。

 

 日本のスーパーファミコンはこの年末に1100万台を突破。もはや他社の追随を許さぬ圧倒的なシェアとなっていたが、もはやメガドライブでしか遊べないおもしろいゲームが出続けるという恵まれた状況下で、日本のファンにとって悲観的なイメージはなかった。

 これも北米でGenesisがさらに躍進し、任天堂のSNESとともにそれぞれ1400万台前後という、ほぼ互角の戦いが繰り広げられていたおかげかもしれない。欧州も徐々に8bit機から16bit機へと移行が進み、やはりここでもセガと任天堂は北米と同様の互角の戦いを繰り広げた。

「GENESIS」(後期型)

ⓒSEGA

 しかし時代は確実に進み、戦いは新たなステージを迎える。家電大手のソニーとその子会社ソニーミュージックエンタテインメントは10月末、新会社「ソニーコンピュータエンタテインメント」を来年1月に設立すると発表。続いて11月には、この新会社が開発中というまだ見ぬ新ハード「PS-X」にナムコ、コナミが参入というニュースが舞い込んでくる。スーパーファミコン用CD-ROMドライブとして誕生したあの「プレイステーション」が、新たに専用ゲーム機として蘇ったのであった。

 さらに北米では、ファミコン以前に北米で一世を風靡したかつての王者・アタリによる新ゲーム機「ジャガー」、そして、松下電器やサンヨーなど家電メーカー大手が参戦する共通規格・32bit次世代機「3DO」が、それぞれアメリカで発売を開始した。

 そこへ「日立製の新チップを使ったセガの新型機が1年後に製品化」というニュースまでもが報道される。メガドライブの次のハードが出る!? 目の前の戦争が決着する前に、次の戦いは目の前に迫っていた。


奥成洋輔(おくなり・ようすけ)

1971年生まれ。1994年に株式会社セガ・エンタープライゼス(現・セガ)入社。2000年DC『エターナルアルカディア』でアシスタントプロデューサーを担当、2004年にPS2『サクラ大戦V EPISODE 0 ~荒野のサムライ娘~』を初プロデュース。2005年以降旧作の復刻を数多く手掛ける。最新作は『メガドライブミニ2』。その他主な作品にニンテンドー3DS「セガ3D復刻プロジェクト」シリーズ、『メガドライブミニ』(初代)『ゲームギアミクロ』など。


メガドライブミニ2 公式サイト

https://sega.jp/mdmini2/