長年に渡って人気を保つシリーズがあれば、いつの間にか誕生していつの間にか滅びてしまった車種もある。メーカーの期待を一身に背負いながら、後継モデルを生むことなく終わってしまった車種はなぜダメだったのか? 今回は悲哀あふれる悲しき絶滅車を振り返ってみよう。
文/長谷川 敦、写真/スバル、ダイハツ、トヨタ、Newsprass UK、Favcars.com、ホンダ、マツダ
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未来型クーペは灼熱地獄に? 「トヨタ セラ」
まだまだバブル景気華やかなりし1990年、トヨタから風変わりなクルマが発売された。フランス語由来の「未来に向けてはばたく夢のある車」を意味する「セラ」という名称が与えられたそのクルマは、その名のとおりの羽ばたくような機構を持って登場した。
セラは3ドアクーペにカテゴリー分けされるクルマで、搭乗者数は4。これだけならこの当時それほど珍しくないものだが、注目はそのドアにあった。セラのドアは一般的な横開きではなく、まるでスーパーカーのようなガルウイングタイプを採用していたのだ。
正確には「ガル(カモメ)ウイング」ではなく「バタフライ(蝶)ウイング」と呼ばれる構造のドアだったが、上方に高々とドアを開いたその姿は、国産車のなかにあって異彩を放っていた。
さらに驚かされたのが、ルーフまでガラスのグラストップだったこと。ほとんどオープンカーと言ってもよいこの構造は抜群の開放感をもたらしたが、ご想像どおり、真夏の日本では直射日光によって室内は熱せられ、クラス平均より大きなエアコンでも対処しきれないほど室温が上がってしまったという。
意欲的な機構を盛り込んだにしては160万円~という控えめな車両価格など、見るべき点も多かったセラだが、残念ながらセールスは苦戦し、1996年には生産を終了。この時点での販売台数は1万7000台弱にとどまっている。
当時流行したデートカーとしての需要も期待されていたセラだが、バブルの波には乗れずに一代限りの歴史を終えている。
たった4年の命に終わった悲劇のV6モデル 「マツダ ランティス」
長い歴史において数々のユニークなモデルを登場させているマツダが1993年にリリースした4ドアセダン&5ドアハッチバッククーペが「ランティス」だ。
本来4ドアと5ドアは別々のモデルとして開発されていたとのことで、両車の違いは意外に大きいが、特に5ドアクーペモデルは個性的なスタイルからも注目を集めていた。
そしてランティス最大の特徴は、このクラスでは珍しいV型6気筒エンジンを搭載したモデルが用意されていたこと。排気量を確保しつつ全長を切り詰めることのできるV6エンジンの採用により、ランティスは5ナンバーサイズを守りながら十分なパワーを得ることに成功した。
この2リッターV6エンジンは170psという出力もさることながら、高回転までスムーズに吹け上がる特性も評価され、販売終了から25年が経過した現在でもV6モデルは中古車市場で人気を保っている。
当時新たに施行された新衝突安全基準適合車の第一号となるなど、安全性能も高かったランティスだったが、この時代のマツダは販売店5チャンネル化の失敗によるダメージもあって、多くの魅力を持つにもかかわらずセールスは伸びなかった。
結局ランティスは次期モデルを残すことなく1997年に製造販売が終了となる。独特なボディデザインにはファンも多かったことを考えると残念な結果であり、販売終了はランティスの正統な評価を反映していないとも言える。まさに悲劇の一台だった。
6人乗りの意欲作もミニバンブームに乗れず 「ホンダ エディックス」
2004年にホンダから登場したのが新型ミニバンの「エディックス」。ベースとなっていたのは7代目シビックで、全長約4.3m、全幅約1.8mという、ミニバンにしてはコンパクトなボディに「3バイ2」と呼ばれるシートアレンジが採用されていた。
この3バイ2とは、前後2列にそれぞれ3座席を設ける6人乗りを意味していて、前側3席と後部中央の1席がスライド可能なユニークな構造を持つものだった。これは1列に3名が座った際の窮屈さを緩和するためでもあった。
発売時のエンジンは1.7リッター仕様だったが、2006年のマイナーチェンジでは2.0&2.4リッターエンジンが登場。6人乗車時でも十分なパワーを得ることができたものの、そもそもこの6人乗りコンセプト自体があまり受け入れられなかった。
この当時はミニバンに注目が集まっており、各メーカーからさまざまなミニバンが販売されていたことに加え、同じホンダにもストリームという魅力的なミニバンが存在していた。これがエディックスにとっては向かい風となって販売は低迷。2009年にはラインナップから姿を消すことになった。
理想と現実の狭間に泣いた? 「スバル R2」
現代の軽自動車は、都市部における使い勝手の良さと省燃費などの利点が注目され活況を呈している。しかし、クルマ好きにとっては少々残念なことに、軽自動車の歴史において、もてはやされるのは主に実用性に関してのみ。だが、時々そんな軽自動車のなかにあって“変種”が登場することもある。ここで紹介するスバルの「R2」も、そうした変わり種のひとつと言える。
2003年リリースのR2は、何よりもデザイン性の高さがアピールポイントだった。ミニバンブームの影響もあって軽自動車のなかにも四角いクルマが増えつつあるなか、R2のボディは丸さを強調したスタイリッシュなもので、航空機をイメージさせるグリルも個性を放っていた。
実際にスバルがR2のために用意したキャッチコピーも「新しいミニカーのカタチ。」であり、このクルマに対するスバルの期待の高さもうかがえた。
エンジンは軽自動車でポピュラーな3気筒ではなく直列4気筒を採用し、自然吸気に加えてスーパーチャージャー搭載仕様も用意。走りを重視するユーザーのニーズも満たすラインナップだった。
だが、こんな遊び心全開のクルマは実用性一辺倒の軽自動車市場ではあまり受け入れられず、2005年にはフロントグリルのデザインを変更したマイナーチェンジ版が登場するものの、販売は低迷した。
そうした状況によりR2の販売は2010年で終了となった。クルマとしての出来や評価は高かったが、売れないことには継続のしようもなく、R2もまた一代限りでその歴史を終えている。
ヨーロピアンテイストが奏功せず 「ダイハツ YRV」
ダイハツがかつて販売していたコンパクトカーのストーリアをベースに、よりスポーティなトールワゴンに仕上げたのが「YRV」。「Youthful(若々しい)」「Robust(屈強)」「Vivid(生き生きとした)」の頭文字を合わせた名称を持つこのクルマは2000年にデビューした。
ヨーロッパでの販売も視野に入れられたYRVは、外観デザインは元より走りの面においても欧州を意識し、ベースモデルのストーリアよりも硬めのサスペンションチューニングが施された。
エンジンは初代トヨタ ヴィッツにも採用された1.0リッター1SZ-FE型を1.3リッターに拡大し、ターボチャージャー装着タイプも用意。ターボ仕様の最高出力は140psで、このクラスのモデルとしては申しぶんのない動力性能を実現した。
エッジの効いたボディデザインにパワフルなエンジン、そして欧州仕様の足回り――これだけ見るとYRVは実に魅力的なクルマに思えるが、実際には、コンパクトワゴンにしてはあまりに尖りすぎ、硬めのサスも国内では敬遠されてしまった。
国内や欧州でのセールスが特別低調だったということもなかったようだが、後継モデルを生み出すほどではなく、2005年にはその製造販売が終わっている。
今回見てきた5台は、いずれも強い個性と魅力を持つクルマだった。だが、それが販売成績に直結することはなく、残念ながら一代限りで“絶滅”してしまった。これを見ると種の存続がいかに難しいことなのか理解でき、長年に渡って販売されるクルマの偉大さも見えてくる。
これからも新たなクルマが生まれ、そして消えてゆく流れは繰り返されるだろう。そうした悲劇のクルマにも評価すべき点はあり、クルマ好きならば、たまにはそうしたモデルを思い出すことをせめてもの供養としたい。
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投稿 「あったなぁー!!」と思わず唸りたくなる流れ星のように消えた絶版車たち は 自動車情報誌「ベストカー」 に最初に表示されました。