母として女としてプロとして、トラックに共に走り続ける由美さんですが、やはり子育てと仕事を両立させることにはさまざまな葛藤がありました。
でも、そんな由美さんを救ったのは、一人娘からのエールでした。
プロドライバーとして、いかに仕事を全うするか!?
由美さんは、女性にはキツいとされる平ボディの仕事に出会い、天職と感じるようになりました。
文/ベテランドライバー由美さん 写真/由美さん・フルロード編集部
*2012年6月発行トラックマガジン「フルロード」第6号より
仕事に対する責任感と子を思う親の気持ちの両立
それから数年の間に離婚、他社への転職などさまざまな出来事があった。
一番の転機となったのは再婚だった。再婚相手の職業は、横浜ベースの海上コンテナトレーラの運転手だった。
ちょうど娘が小学校に入学する年だったこともあり、思いきって長年住み慣れた街を離れ、横浜に引っ越しをした。
横浜にだって運送会社はある。日本全国どこに引っ越しても、またすぐにトラックドライバーになれるはず。そう思っていた。
なんとしても大切な娘をがんばって育てなきゃと、無我夢中で朝から晩まで仕事と家事にあけくれていた私。
ましてや親の勝手な事情で離婚し、態度には表わさないけど、ずっと辛く寂しい思いをしていたであろう娘。
早朝に保育園に預け、9時からは迎えにきたバスに乗り幼稚園に通い、また夜まで保育園で過ごす二重生活。それにともない発生する月7万円もの保育料……。
子供を理由に休み「これだから女はつかえない」と言われるのが絶対イヤで、何があっても仕事を休めなかった自分。
たとえ娘が、ママが見に来てくれるかもとがんばって練習し、楽しみにしていた幼稚園のお遊戯会や参観日でも、風邪をひいて熱を出しても、おたふく風邪や水ぼうそうやインフルエンザにかかっても、私は一度も仕事を休んだことはない。
親族の葬式と、あらかじめわかっている予定を除き、子供と自分の理由で突発的に休むことはなかった。
事務職とは違い、自分のトラックに荷物を積み置きしたら、まず代わりの運転手がいないのだ。
翌朝までに自分が運ばなければ、この荷物は届かない。会社や荷主に迷惑がかかる。だから突然休んで仕事に穴をあけてしまうようなことはできない。
本当はいつも幼稚園の行事に行ってあげたかった。お遊戯会で踊る可愛い小さな娘の姿を、手を降りながら笑顔で見守ってあげたかった。
病気のときはそばについていてあげたかった。いつも一緒にいられない分、帰宅後は娘をたくさん抱きしめ、たくさんたくさん話をした。
正直、娘も私もそんな生活に内心疲れていたと思う。同じような思いをしている働く女性はたくさんいると思う。特にトラックドライバーには多いはずだ。
しかし、私たちがそんな思いで仕事をしていることを、会社側はまったくわかっていないのが現状だ。
長年男社会の運送業に女性が進出するようになって、会社側もどう接すればいいか、どう扱っていいか、仕事や待遇で男女の区別はどうすべきか、戸惑っているのかもしれない。
横浜に引っ越して、娘も小学校に入学した。私はここでちょっと休憩してもいいんじゃないかな……、と今までの娘に対する罪ほろぼしとして、しばらくは専業主婦になろうと思った。
朝は娘を「行ってらっしゃぁい」と送り出し、夕方は「おかえり~」と迎える。普通の家庭ではごく当たり前のやりとりが自分たちにははじめてで、まるでテレビのホームドラマのようで、すごく幸せに感じた。
毎日きちんとご飯を作ってあげられて、一緒に食べることができるのも喜びだった。今まで行けなかった学校行事も率先して参加し、参観日は必ず出席した。
自ら広報委員に立候補し学校誌の制作に携わったりして、それはそれで充実していたのだが……。
家にいても、掃除・洗濯・買い物などをすませてしまえば時間をもてあます。
私はだんだん退屈な一人の時間がストレスになってきた。
ドライバーでもある旦那の話を聞いたりしていると、余計にイライラしたり、憂鬱な気分になったりする。
やっぱり私もトラックに乗りたい。乗らないと自分がダメ人間になる……。
でもまた娘に寂しい思いをさせることになるんじゃないか? 私は迷ったが、娘の一言がそんな迷いをふき飛ばしてくれたのだ。
親の背中を見て子は育つ いよいよ大型の平ボディに搭乗
「ママ、ほんとはトラック乗りたいんでしょ? 私はジジとババも近くにいるし、お友達たくさんできたし、大丈夫だよ。私はトラック乗ってるママのほうが、かっこよくて楽しそうで好きだよ!」
こうして、専業主婦期間は半年で終了した。
横浜での仕事探しは思うようにいかなかった。出産後に再就職した時と同様、運送会社に片っ端から電話をしたが、返ってくる答えはあの時と同じ。どうしても小さな子供がいることがネックになる。
ただ今回は娘も小学生だし、幸いなことに夫の両親がすぐ近くに住んでいる。たとえ私と旦那の帰りが遅くなっても、夕飯はジジとババの家で食べることができる。心強かった。
そんな中で2社面接をしてくれ、1社が面接の場で即採用してくれたのだ。横浜の本牧ふ頭ベースで、輸出入の貨物全般の輸送をしている会社だった。
クルマは2トンから大型まで20台弱保有している。私は4トンウイング車のドライバー希望で応募したのだが、私が以前大型ウイング車に乗っていたことがわかると、「じゃあ大型に乗ってよ」と言われ唖然とする私。ちょうど大型トラックも一台空いているとのこと。
私はこのとき、どうせ大型はムリだから、2トンでも4トンでもウイング車でも箱車でも幌車でも冷凍車でも、トラックに乗れるならもうなんでもいい! と半ばヤケクソになっていたので、まさかまた大型トラックに乗れるなんて願ってもないチャンスで夢のような話だった。
大型の運転はかなりブランクがあるので、内心は少し不安だったが、面接してくれた社長の前で自信なさげな表情はできなかった。こんなチャンスは滅多にあることではない。
「はい! 大丈夫です。乗れます」当然、そう答える私。
「乗ってもらうのはね、車庫の端っこに置いてあるあのクルマだよ」窓の外のトラックを指さす社長。
「あ、あれですか……?」社長の指さす先には一台の平ボディ車が……。確かにこの会社はウイング車と平ボディ車の両方を保有しているが、まさかまったく考えてもいなかった平ボディだなんて……。
自分の中の選択肢には平ボディの存在さえなかったのだ。ヤバい、平ボディなんて乗ったことがないし、どうしよう、シート掛けとか大変だって聞いてるし……。
えぇい! こうなったらヤケクソついでだ、乗ってしまえ! 大型なんてどれも一緒! みんなに乗れて私に乗れないことはない!! 私は変な自信と勢いで大型平ボディ車に乗ることになってしまったのだ。
勤務初日、私はてっきり他のベテランドライバーと同乗する、研修期間が数日あると思っていた。その間にシートやら荷締めやら平ボディ車のノウハウを教えてもらおうと思っていた。
しかし、その甘い考えはすぐに打ち砕かれた。忙しいからと、いきなり荷物の引き取りと納品に必要な書類の束を渡され、初日から1人であっちこっちと配達に行かされたのだった。
はじめは、本牧ふ頭で積んですぐ隣の大黒ふ頭でおろす、というような簡単な作業だったが、大型に乗るのは久しぶりだし、平ボディも初めてだし、ましてや港なんて右も左もわからないし、とても不安だった。
社長から手渡された大黒、山下、本牧、大井ふ頭の各港内マップのコピーだけが頼りだった。
数年ぶりに座った大型の運転席、大きなハンドル、ボディの長さに戸惑いながらもエンジンをかけスタートする。
しかし、不思議なものだ。大型の運転感覚を身体が、また脳が覚えているのだ。荷物を積んで降ろす間に、すっかり勘を取り戻すことができた。久しぶりの大型はやっぱりイイ! 満足感でいっぱいだった。
問題はシートと荷締めだった。何もかも手探りの状態で、はじめのうちは見よう見まねで、シートなんてゴムをフックにかければいいだけじゃないの? と適当にシートを掛けてみた。いざ走ってみると……、シート内部に風が入り込み、膨らんだりバサバサしたりする。
そんな自分のトラックがすごく恥ずかしく、また惨めにすら思えてくる。まるでシートの掛け方がその人の技量を示しているかのように感じる。
道行く他の平ボディを見ると、みんなシートがきれいにバッチリかかっている。「美しい……、なんてカッコいいんだろう」。
いま思えば、その時が平ボディの奥深さと魅力に取り憑かれた瞬間だったのかもしれない。
プロドライバーとしての自覚 天職と巡り合えた幸せを噛みしめて
しばらくすると私も港内の仕事に慣れ、ついに先輩達と同じ精密機械を運ぶことを許された。運ぶのは1台数百万から数千万円はする大型の精密機械。
さすがに社長も私一人じゃ不安らしく、会社で一番の精密機械運搬のプロフェッショナルといわれていたベテランドライバーと、2台セットで積み込みに行くことになった。
高さは3メートル、幅は荷台いっぱいの大きな機械で、間近で見るのははじめてだ。
この機械を天井クレーンで吊り上げ、いざトラックへ積み込みを開始しようとしたとき、今まで穏やかだった初老のベテランドライバーの眼差しが真剣なものへと変わり、私に一喝。
「ほら積むぞ! 危ないから下がってろ! こっちはいちいち一から教えてる余裕なんてない! いいか、仕事は教えるものじゃないんだ! 見て覚えろ! 仕事は盗むものなんだ! 次は一人で積みにくるかもしれないんだから一度で覚えろ!」。
「は、はい」。私はそれ以上の言葉を発することができなかった。
今まではどんな会社でも、はじめての荷物や場所について先輩ドライバーが説明したり教えてくれたりしたものだった。私も新人がくればそうしてきた。
こんなことを言われたのは初めてだった。突き放されたようで、なんだかちょっと泣きそうになってしまった。
しかし私も必死だ。この機械が積めなければ、この会社で大型ドライバーとして使いものにならない。「私にはできません」なんて泣きつけば、また「やっぱり女はダメだな」とレッテルを貼られるだけ。
頑固なジイサマは、慣れた手つきで次々と大きな機械の荷締めを丁寧に取り、機械の尖った部分や角に毛布をあて、シートを掛ける。絶対に水濡れ厳禁なデリケートな機械、ブルーシートと本シートの2枚重ねだ。
シートのゴムの掛け方にも人それぞれこだわりがある。ジイサマの魔法のような一連の作業を、私はとにかくガン見して覚えるしかなかった。
ジイサマは頑固で変わり者と周りのドライバーからは思われていた。時々、他のドライバーと仕事のことで口論になったりもしていたようだ。
だけど私はなぜかこのジイサマを嫌いではなかった。その頑固さの裏側には、長年積み重ねた経験と知識、仕事に対するプライド、こだわりがあると思うのだ。
その日から頑固なジイサマは私の仕事の師匠となった。
平ボディドライバーはある意味「職人」だと思う。さまざまな荷物に対する最適な荷締め方法と、シートの掛け方を熟知している。
平ボディに乗るようになって、私も今までは縁のなかった材木やら鋼材やら機械やら、それに重量物や幅出し、長尺物などを積む機会が増えた。
はじめはどんなものが出てきても内心オロオロしていたが、私も成長したものだ。
ジイサマに一喝されて以来、他のドライバーがやっている「これはいいな」と思う荷締めや積み方を見て、盗んで応用してみたり、自分なりに研究してみたり。今ではどんな荷物が出てきても驚くことはなくなった。
※ ※ ※
4年前、念願のマイホームを住み慣れた埼玉県内に購入した。今は「キューポラのある街」で有名になった街の、鋳物や建築資材などを運ぶ会社で4トンの平ボディを運転している。
ときどき積み込み先で、「お姉さん、運転手歴長いの? ずいぶん手際がいいね」とか「こんな背の高い荷物なのにずいぶんきれいにシートをかけるねぇ」とか誉められることがある。
そんな時、私はいつもあのジイサマを思い出す。あの言葉がなければ私の向上心は生まれなかったかもしれない。
思い返すと、さまざまな積み荷を運んだ。その仕事ひとつひとつに無駄な物はない。今でも毎日が修行だ。
トラックドライバーは自分にとって「天職」だと思っている。「天職」に出会えないまま、ただ日々の生活のために好きでもない仕事をしている人も少なくないと思う。
そんな中、自分に最適な仕事を見つけられた私は幸運だと感じている。もちろん仕事が辛く感じることも多々ある。いや、辛いと思うことのほうが正直多いかもしれない。だけど私はこの仕事が大好きだ。当分やめられそうにもない……。
【編集部より】
この「素顔の自叙伝」を書いてもらってから10年が経ちました。由美さんは今も元気いっぱい。10年前からの夢をかなえ、現在は運送会社で配車係を務めています。
ただ、この10年間にもさまざまな苦難もあり試練を乗り越えてきました。その軌跡は、いつか由美さんの「素顔の自叙伝」第二章で明らかにしてほしいと思っています。
投稿 天職と思える仕事との出会い! ベテラン平ボディドライバー由美さんの素顔の自叙伝【後編】 は 自動車情報誌「ベストカー」 に最初に表示されました。