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 「代替バス」や「転換バス」と呼ばれる路線バス……車両も設備も乗り方も普通の路線バスと変わらないけれども、どんなきっかけがあると代替や転換の肩書きが付くのだろうか?

文・写真:中山修一


代わりだけど主役です!

 代替バスや転換バスは、その名の通り、それまで運行していた公共交通機関が、なんらかの形で営業をやめてしまう時に誕生する乗り物である。

 代替バス以前の公共交通機関に種類の制限はなく、特に知られるのが鉄道だろう。ほかにモノレールやケーブルカー、路面電車、トロリーバスなどの各種路線から引き継いだ地域の足を担うバスも代替バスの一種になる。

 鉄道の場合、事業者が運行をやめると決めてすぐバスへと軸足を移すのではなく、廃止して地元沿線のバス事業者に後を任せるか、他の鉄道事業者に設備を譲り鉄道で継続するか、地元の自治体等と協議を重ねるのが普通だ。

 鉄道は極めてコストがかかる乗り物であるため、よっぽど好条件が揃わない限り存続させるのは難しい(揃っていればまず廃止しないとも言える)ものだ。

 採算が見込めなかったり、沿線自治体や住民から鉄道存続の希望があまり出なかった際、鉄道ほどコストをかけず効率よく輸送できる最も適当な手段とみなされるのが路線バスというわけだ。

廃止された鉄道線の分岐点だった駅前が代替バスの出発点になっていることはよくある

 代替バス・転換バスには、でき方が2パターンある。一つはバス路線を新設して、鉄道線廃止日の翌日からバスの運行を始めるタイプ。

 一方は、鉄道が営業中の時代から並行して走っていた、競合関係にある路線バスを代替・転換バスにスライドさせるものだ。

バスをバスで転換!?

 鉄道路線の後継交通機関として走り始めるのが代替・転換バスであるが、その代替バスでも採算が合わなくなり、運行をやめなければいけない事態に陥ることがある。

 とはいえ元々は公共の足である鉄道の代わりを冠する以上、完全になくしてしまうのは問題がある。この場合、バスをバスで転換する手段が採られる。

 代替・転換バスの多くが、一般のバス事業者によって運行されている。そのバス事業者による路線を一旦廃止して、自治体が運営するコミュニティバスなどに置き換えるわけだ。

 これで沿線の足をキープできるが、自治体ごとにバス路線が独立して、元は1本のバスで行けたのに対して乗り換えが必要になり、特に長い距離を乗る際の利便性が落ちてしまう弱点を持つ。

 バスのバス転換には続きがある。もしコミュニティバスでも維持が難しかったら……次に登場するのは小型バスやマイクロバス、タクシーを使ったデマンド交通だ。

 デマンド交通も運転時刻が決まっているのは路線バスと共通だが、利用するには事前の予約が必要となる。地元住民以外が利用するにはかなり高いハードルを飛ばないといけないかも。

 ちなみに、もし万が一デマンド交通でも……となってしまった元鉄道路線は!? いよいよ腹をくくって歩くしかなくなる。

元国鉄・JR線の実例で見る代替・転換バス

 鉄道が廃止になると、事業者に関係なく代替・転換バスが登場するものだが、今回はとりわけ象徴的な存在と言える国鉄・JRの廃止路線に絞ってみた。

 国鉄・JR線で廃止になった旅客営業路線のうち、バス転換したものが72路線。内訳は北海道が29路線と最も多く、次に福岡県(8)路線、兵庫県(5路線)、鹿児島県(4路線)、新潟県(3路線)…と続いていく。

 上記のバス転換された路線で、2022年現在もほぼ同じ区間を結ぶバスが運行されているのは54路線。それとは別に、目的地や経路が大幅に変わっていたり、利用時に予約が必要など条件付きで存続しているものが6路線だ。

 バス転換したものの、残念ながら代替バスも廃止、あるいは途中の区間が分断されて、当初の鉄道線の通りに端から端まで到達できなくなっているものがトータル12路線あった。

 代替バスまで廃止となった都道府県の内訳は北海道と福岡県が同じ4路線ずつ。福島県、滋賀県、兵庫県、大分県がそれぞれ1路線だ。

保存車両が展示された代替バスのバスターミナル

1960年代から続く代替・転換バスの登場

 年代順で見てみると、特に古いのが1964年5月に廃止後バス転換した滋賀県の柳ヶ瀬線。国鉄バスからJRバス、余呉バス・敦賀市コミュニティバスへと転換していき、現在は途中(雁ケ谷〜刀根間)が分断されている。

 分断区間にある柳ヶ瀬トンネルは歩行者や軽車両の通行ができないため、徒歩を挟んでの乗り換えも不可能となっている。

 次が長崎県の柚木線で1967年9月の廃止。こちらは今も西肥バスで鉄道時代の始点〜終点相当の区間を結べる。ただし代替・転換バスとは少々キャラクターが異なるかもしれない。

 1970年12月に廃止された北海道の根北線が3番目に古い。鉄道が未成に終わった区間を含む、斜里〜標津を結ぶバス路線を斜里バスが元々運行しており、鉄道廃止後はそのバスが代替手段となったが、2004年4月にバスも廃止されている。

国鉄根北線の未成区間に残るアーチ橋

 新しい代替・転換バスの動向を記すと、最も新しいのが2021年4月に部分廃止となった日高本線の鵡川〜様似間。ただし日高線の鵡川より先は2015年からバス代行だった。

 次が2020年4月廃止の札沼線の北海道医療大学〜新十津川間。こちらはコミュニティバスの月形当別線・月形浦臼線、浦臼町営バスが代替バスとして運行されている。

 3番目も北海道。2019年4月に役割を終えた石勝線夕張支線の新夕張〜夕張間だ。鉄道と並行していた地元の夕鉄バスが代替・転換バスを受け持っている。

 時代で言えば、1980年代が国鉄・JR系転換バスの百花繚乱期と言える。80年代に登場した代替・転換バス47路線のうち37路線が現在も運行中だ。

 すでに3〜40年経っているわけで、それでも8割近くが公共の足を守るべく依然活躍中なのを見ると、路線バスの底力を感じさせられる。

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