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 3年ぶりに開催される鈴鹿でのF1日本GPに合わせて、息子のジュリアーノが参戦しているスーパーGT第7戦オートポリスをトムスチームのアテンドで訪れたジャン・アレジ氏。199年のオープニングセレモニー以来という、32年ぶりに訪問したオートポリスの場で、ジュリアーノを軸としたヨーロッパと日本の若手ドライバーの育成環境、レースの状況について聞いた。
 
 フェラーリ・ドライバー・アカデミーに選抜されながら、そこから外れ、FIA-F2などヨーロッパで活動していたジャン・アレジの息子、ジュリアーノ・アレジ。まずは現在のヨーロッパでの若手育成の環境についてどのような印象を持っているのか。

「ヨーロッパではF1絡みでフェラーリ、アルピーヌ、マクラーレンやメルセデス、レッドブルといったチームが若手育成のプログラムを組んでいるけれども、結局はお金(持ち込み資金)の問題が常につきまとっています。潤沢な資金がない子どもたちは、いくら技術的に高いものをもっていたとしても、その若手育成プログラムにすら届かない状況です。現実的にお金の部分がとても重要になっています」

「実際、今のF1には4人のドライバーが大富豪の子息です。それが現実です。日本の育成プログラムは、そこまで大富豪でないと入れないというわけではないですし、ヨーロッパに比べるとリーズナブルな条件で入ることができると思います」

 たとえ幼少期にドライバーとしてどんなに才能があっても、速さがあっても、今のヨーロッパでは育成組織に入れるというわけではないのか。

「まったく、その通りです。そこがヨーロッパでの一番大きな問題です。そして、それが私がジュリアーノのことで経験した一番の問題になりました。たとえば、ジュリアーノがGP3(FIA-F3)とかFIA-F2のカテゴリーに進んで行くなかで、いつも(ニキータ)マゼピンがいて、潤沢な資金でF1マシンでもテストをするなど、全然同じ状況ではありませんでした。他にも今は若手ドライバーとして(ランド)ノリス、(ニコラス)ラティフィ、(ランス)ストロールなどがF1にいますが、彼らもマゼピンと同じような大富豪の子供たちで、そのようなドライバーはヨーロッパにたくさんいます。結局、現実としてドライバーとしてのパフォーマンスよりも、お金ありきなわけです」

 その状況から、ジュリアーノが日本のレース環境を選んだ経緯、そしてその決断についてジャン氏はどのような考えで日本に送り出したのだろう。

「たとえばGP3でいい結果を残すことができたとして、次にFIA-F2にステップアップするとなったら、自動的に200万ユーロ(約2億8000万円)を用意しなければ乗ることができない。それはどんなにGP3で好成績を残そうとも、200万ユーロが必要になるのです。どのカテゴリーでも、いい成績を残してもステップアップする際にはまた多くのお金が必要になる。その繰り返しは、自分にとっては受け入れがたくて、奇妙なシステムになっています」

「そこでなぜ日本を選んだのかというと、まずは自分が1989年に日本のF3000で走っていて、その時はエディ・ジョーダンが日本に行くことを勧めてくれたのだけど、彼も日本のレースのシステムがすごくしっかりと運営されていると教えてくれた。そして自分がフランスで若手の育成をしている(FFSA/フランスモータースポーツ連盟の若手育成プログラム)時に、(教えていたピエール)ガスリーが2016年にGP2でチャンピオンになったけど、どのときにはF1への道がなくて、ガスリーが『僕はどうしたらいいんだろう?』となっているときに日本に行くことを勧めました。そしてガスリーの時と同じように、自分の息子にも同じ道を勧めました」

「もちろん、ジュリアーノの母(後藤久美子さん)は日本人ということもありますし(笑)、自分の経験も縁もありますからね。そういうことで、ジュリアーノにとって日本に来ることは、それほど大きな障害があったわけではありません。日本ではスーパーフォーミュラ・ライツ(SFL)からはじめましたが、SFLはサーキットを走るマイレージ(距離)がすごくあって、毎週のように走ることができて、彼にとってすごくためになったと思います。たとえばFIA-F2のカレンダーでは(F1のフライアウェイ期間は)1カ月半~2カ月近く空いて、走ることができないこともあるんです」

 そもそも、ジュリアーノが本格的にレースをはじめたのは13歳の時。父親がレースをすることを認めてくれなかったと聞くが、実際のところはどうなのだろう。

「そのとおりです。でも、まずは彼が走りたいと言わなかった(笑)。思いつきで走るのではなく、心の底からレースをやりたい、サーキットを走りたいと思わないとこの世界には入って来れない。レーシングドライバーとは、そういう職業です。一番最初に彼がインパクトを受けたのがインディアナポリスでのインディ500で『僕は絶対にここで走りたい!』と。そして『ここで走ることができなかったら、F1でもいいや』と話していたのを覚えています(笑)。そんな思いつきで彼は言っていたので、『ジュリアーノ、そんなに甘い世界ではないし、この仕事は誰にでもできることではない』と説教をしました」

2022年スーパーGT第7戦オートポリス トムスのピットを訪れたジャン・アレジ氏
息子のやりたいことを尊重しつつも学校の大切さを語るなど、教育にアツいジャン・アレジ。

「それからレーシングドライバーになるにはまずはカートからはじめて、そこからトレーニングをしてステップアップしていくんだよと。レースを目指す男の子なら普通に8歳くらいからカートをはじめているのだけど、お前はもう13歳で歳を取っていると。それでも彼は『構わない。レースをやりたい』と。それが13歳の時で、そこからドライバーとしての生活が始まりました」
 
 遅先のデビューながら、実際にレースを始めたアレジ親子。そしてヨーロッパでの現実にぶつかるわけだが、そこでも父ジャンのポリシーは確固とブレなかった。

「レースをはじめて彼は2年間、カートで苦戦して負けて悔しい思いをしたりして、勝ちたいという闘志、戦う気持ちを養うという意味ではいい2年間でした。そして15歳のときにF4のレースに出ることになり、1戦目のドライのレースで勝って、2戦目のウエットでも勝ちました。そこで大きな自信が付きました。自分としてもうれしかったですね。でも、そこから先に行くには先ほど言ったお金の問題が立ちはだかってきました」

 13歳でカートをはじめたジュリアーノとは対象的に、現在、日本でも自分の子どもをレーシングドライバーにしたいと願う親はできるだけ早い段階からカートに乗せようとし、若年層からレースをはじめさせているが、アレジ氏はこの傾向に警鐘を鳴らす。

「早すぎるレースデビューはダメです。ジュリアーノにも言ったことがありますが、あまりに小さい時からレースに夢中にさせると、学校にも行かずに朝から晩までサーキットを走りたがるし、同時にお金も掛かり続けます。サーキットを走ることは楽しいですけど、それよりもレーシングドライバーとしてどのように自分のマインド、そしてドライビングをコントロールするかが大事です。ただ何も考えずに走るということは必要ないと思っています」

 日本では、プロを目指すなら早ければ早いほどいいという傾向がある。

「たとえばカートでヘアピンを曲がるのと、四輪のレーシングカーで曲がるのとでは、腕の力の入れ方も違いますし、技術も違ってくる。もちろん、カートでも精神面、自制心を養うことができますけど、カートの技術だけではトップのカテゴリーには上がっていけません」

2022年スーパーGT第7戦オートポリス トムスのピットを訪れたジャン・アレジ氏
若年層からレースを始める子どもと親に警鐘を鳴らすアレジ氏

 日本でレースを始めたジュリアーノは、ヨーロッパにいる父とレースの話をよくすると聞く。だが、その会話ではマシンのことやセットアップのような技術的な話はしないとも聞く。

「自分の時代のテクノロジー、そしてスキルは、今の時代では全然違います。一番最初の頃は、口を出しそうになりましたけど(苦笑)、やっぱり今のマシンの技術的な進歩を見た時には、僕が口を出すべきことは何もない、だからもう、そこは彼らに任せようと、自分を控えるようにしました。自分が唯一チェックして見ているのは、ドライビングテクニックの部分だけです。そこはかなり言っていますよ(笑)、本人は『うるさいな』とか思っているかもしれませんけどね(笑)」

 その日本のレース界は実際、トヨタ、ホンダ、ニッサンといった自動車メーカーがレースを支えている。それが要因かはわからないが、F1など世界のトップになれるようなドライバーがなかなか出ていない。

「たとえばホンダの育成プログラムはいい例だと思いますし、実際、角田裕毅がF1で頑張っています。自分たちが育てたドライバーをF1に乗れるようにバックアップするのは、とてもいいシステムだと思います。トヨタは今はF1をやっていませんが、豊田章男さんが自分からドライバーによくコミュニケーションをとっていたり、サポートしていたり、そういうことは世界的に見ても自動車メーカーとしても例外的だと思いますよ」

 若手の四輪入門カテゴリーのFIA-F4では、世界的に日本がもっとも参戦台数が多く、スーパーフォーミュラはF1に次ぐフォーミュラレースと呼ばれ、スーパーGTは世界最強のハコ車レースとして世界的にも認知の高いカテゴリーになっている。今の日本のレース環境は世界的に見ても恵まれていると言えるのだろうか。

「それはある意味逆と言えるかもしれません。たとえばひとつの例として、このオートポリスは最新のサーキットではない、オールドサーキットです。縁石も高いし、その外側はすぐにグリーン(芝生)になっています。今のヨーロッパのサーキットは、ほとんどがコーナーの外側に広くエスケープゾーンが設けられています。だから、今、ヨーロッパの育成年代のドライバーをこのオートポリスに連れてきてレースをさせたら、たぶん、縁石で姿勢を乱したり、コースアウトしたり、ほとんどが完走できないんじゃないかと思います。オールドサーキットを走る方がよっぽど難しいですからね。今、ヨーロッパのレースではすぐに『トラックリミット!』『トラックリミット!』『トラックリミット!』で四輪脱輪だらけの状況です。それではレースをしていても面白くないですよね」

 それでは、ジュリアーノが所属しているトムスチームにどのような印象をもっているのだろう。

「本当にジュリアーノを快く迎えてくれたファミリーで、すごくいいチームだと感じています。スーパーフォーミュラでは勝つことができましたが、今はそれよりも、さまざまなエラーやミステイクをしても、受け入れてくれるチームの器が大きくて素晴らしいです」

 最後。まだ1日しか見てはいないが、はじめてみたスーパーGTの印象を教えて下さい。

「はじめてスーパーGTに来て、はじめてスーパーGTのマシンを見て、今は仰天しています(笑)。本当に大感激しています。マシンの細かいディテールの作り、そしてマシンの安全面、午前のセッションで大きなクラッシュがありましたが、大きな事故や怪我もないですし、本当に素晴らしいです。自分でも走たいくらいですよ!」

 現役時代のアグレッシブな走りとは裏腹に、FFSAの若手育成担当としての冷静な見立て、そして父親としての確固たる教育方針を目の当たりにすると、礼儀正しく勤勉で、御殿場に住居を構えてレースに一心に取り組むジュリアーノのスタンスとの一貫性が理解できる。さまざまな切り口で注目を浴びるアレジ親子。日本でのジュリアーノが今後どのように成長していくのか、暖かく見守りたい。

●ジャン・アレジ
1964年生まれ、フランス出身。フランスF3、国際F3000でチャンピオンに輝き、1989年にティレルからF1デビュー。90年には中嶋悟とチームメイトになり、1991年にフェラーリに移籍。アグレッシブな走りが特徴で多くのファンを生んだ。その後、いくつかのチームを経て2001年にF1を引退。妻は後藤久美子、2男1女の子どもに恵まれる。

●ジュリアーノ・アレジ
1999年生まれ、フランス出身。13歳でレースを始め、フランスF4、GP3(現FIA-F3)、FIA-F2とステップアップ。2016年から2021年にはフェラーリの若手ドライバー育成組織のフェラーリ・ドライバー・アカデミーに所属するもレースの機会が得られず日本へ。トムスに所属し、2021年にはスーパーフォーミュラ・ライツでランキング2位となり、スーパーフォーミュラではスポット参戦した第3戦の雨のオートポリスで優勝。今季はスーパーフォーミュラ、そしてGT500でシーズンを戦う。

2022年スーパーGT第7戦オートポリス トムスのピットを訪れたジャン・アレジ氏
アレジ氏の、ドライバー以前にひとりの人間としての教育方針が垣間見れた

2022年スーパーGT第7戦オートポリス トムスのピットを訪れたジャン・アレジ氏
スタッフと一緒になって応援するジャン・アレジ