(C)SEGA
6月3日に発表された「メガドライブミニ2」。10月27日の発売に向けて、本連載ではセガの名機であるメガドライブの歴史をたどってみたい(全5回)。筆を取っていただくのは、前回の連載から1年ぶりとなるセガの奥成洋輔さんだ。メガドライブの歴史に欠かせないさまざまなトピックを網羅しつつ、奥成さんの目線でふり返る。
セガ躍進のきっかけとなったシステム基板「システム16A/B」
セガが5番目の家庭用ゲーム機である「メガドライブ」を日本で発売したのは1988年10月だが、開発が始まったのはその2年前、1986年頃だと言われている。この1986年というのは、セガにとっても変革の年であった。
昨年「セガサターンとふり返るあの時代」を連載させていただいて1年、おかげさまで好評につき再び連載の機会をいただいた。今回のお題は「メガドライブミニ2」も発表になった記念で「メガドライブ」である。第1回は、まずメガドライブ誕生への道のりを少しくわしく語ってみたい。
1986年1月、セガはゲームセンターの業務用向け(以後「アーケード向け」とする)として「システム16A」というシステム基板をリリースした。「システム16A」は、その少し後に出た改良版「システム16B」と合わせて、約5年もの間アーケードで新作が出続けた、ロングセラーの名基板となった。
20世紀のセガを知る人なら誰もが良く知るゲーム、『ファンタジーゾーン』や『カルテット』、『テトリス』や『ゴールデンアックス』など、セガの有名タイトルの多くがこの基板向けに開発されている。
さて、この名前の中にある「システム」というのは何のことなのかというと、一度この基板をお店に導入すれば、次に新しいゲームに入れ替える際、新たに基板全体を買わずに、ゲームのROM部分のみを交換するだけで済むというもの。つまり仕組みとしては家庭用TVゲーム機で、ソフトを交換するのと同じである。お店は安価にゲームを交換できるし、メーカーとしてもゲーム開発のたびに基板の設計をしなくても済むし、ROMだけならば原価も安く済むので、双方にとってお得な手段だ。
セガは1983年に「システム1」で初めてシステム基板の仕組みをスタートさせた。これは業界でも先駆けにあたるものだ。そしてこの「システム16(A/B)」はその3代目にして次世代バージョンであり、その名前に冠した数字の由来となる「16bit」CPUであるMC68000を搭載した業界初のシステム基板であった。
「16bit」といえばメガドライブの本体に描かれているあのマークとも繋がる。メガドライブは、家庭用の据え置き型ゲーム機で初めて投入された機種として、16bitであることを大々的にアピールしたが、それはやはりこのシステム16の成功によるものが大きい。
ただ、セガが16bitで成功した最初の基板が「システム16」というわけではない、セガの歴史だけでなくTVゲームの歴史の中でも語られる体感ゲーム第一弾『ハングオン』、第二弾の『スペースハリアー』がそれにあたる。2作はそれぞれ1985年の夏と冬にリリースされ、大ヒットを飛ばしている。
初代『ハングオン』
(C)SEGA
この2作の最大の特徴は、巨大なバイク型コントローラを全身を使って動かすことであったり、戦闘機のコックピットのような座席が上下左右に動いたりという大仕掛けなギミックだが、ヒットの要因はもちろんそれだけではなく、ゲーム自体の表現能力にあった。これまで世界中のどこのゲームでも見たことのなかった、美しいビジュアル、スピード感、そしてサウンドが、TVゲームの歴史を変えるほどのインパクトを持っていたのだ。
それまでも、セガのゲームは『ペンゴ』や『フリッキー』など色鮮やかなグラフィックによるかわいらしいキャラクターでのヒット作はあったものの、『パックマン』『ゼビウス』や『スペースインベーダー』を世界中でヒットさせたライバルのナムコやタイトーに比べると存在感は薄かった。しかしこの2作のヒットにより、セガは70年代のエレメカ時代以来久々にアーケードのNo.1ゲームメーカーへと返り咲いたのだった。
セガは16bit CPUを使ったゲームをアーケードにいち早く導入すべく、「システム1」リリース直後の1983年頃から「システム16」の開発を開始しており、『ハングオン』の開発のベースには開発中のシステム16のノウハウが使われていたのである。ただし開発中のシステム16では『ハングオン』の開発者である鈴木裕氏の理想とするゲームを実現するには不十分で、彼の理想を実現すべくスプライトのズーム機能などを強化。半年後の『スペースハリアー』でさらにスプライトの強化を行っていった。
この2作の開発経験が大元の「システム16」自体の機能の底上げとなり、汎用基板としての機能を追加する一方で、『スペースハリアー』など向けの性能アップに伴い、大型筐体でないと入らないほど巨大化した基板を、サイズも値段もコンパクトにするための調整が行われたのが、完成した「システム16A」なのである。
性能は『ハングオン』『スペースハリアー』の専用基板よりはダウンしたとはいえ、当時のアーケードゲームは、ファミコンと同じ8bitの時代。体感ゲーム2作で俄然セガに注目するようになったゲームファンは、『ファンタジーゾーン』などシステム16ならではのゲームの華やかさに魅了され、新しくて高性能なものが大好きなゲームファンは、そんなセガのゲームにますます注目するようになった。それが1986年という時代なのだ。
“安価で高性能”を実現したメガドライブ
さて、話を戻そう。そんなセガ躍進のタイミングに開発をスタートさせたのがメガドライブなのだ。家庭用TVゲーム機でありながら、このシステム16との開発の互換性を保つというのを至上命令とされていた。
一方で、システム16Aの数カ月前の1985年の秋に、セガは「システム2」という初代「システム1」をそのままパワーアップした8bit CPUのシステム基板もリリースしており、同じ年に出たセガ・マークⅢはこのシステム2をベースにしていた。家庭用ゲーム機は子どもでも買えるように安くないといけない。コストを重視するなら、CPUはシステム2の延長で、マークⅢと同じ8bitのまま進めるということもまだ捨てきれるものではなかった。高額なチップであってもシステム16と同じ16bitにするのかは、メガドライブの開発スタート後もなかなか決定されなかったということだ。
最終的には、当時の開発部長であった佐藤秀樹氏が英断。大量発注によるコストダウンにより、市場価格よりもかなり安い価格で16bit CPUを手に入れることができたため、メガドライブには16bit CPUと8bit CPUの両方を搭載することが決まった。
ただしCPUが16bitだからといって、システム16の機能をすべて再現できるわけではない。メガドライブの中でどこまでの機能を持たせられるのか、設計者の石川秀美氏は最後まで調整を続けることとなる。また、家庭用ゲーム機としては後方互換性も必要とされていた時代のため、1985年に発売されたセガ・マークⅢシリーズのソフトも動くようにしてほしい、などという注文もあった。こういった会社からのさまざまな要望を、業務用とはケタ違いに安価な家庭用ゲーム機の基板の中に収めることができるかどうかが、メガドライブの成功を担っていた。さまざまな検討の末、最終的に現在のメガドライブの性能が決まった。
価格も2万1000円と、これまでのセガハードの価格であった1万5000円からは値上がりしたが、性能の進化から考えるとむしろ安価といえるものになった。メガドライブ発売の前年にシャープから発売されたホビーパソコン「X68000」は、その名の通り、メガドライブやシステム16と同じ、68000という16bit CPUを使ったホビーパソコンだが、モニタとセットとはいえ30万円以上したと言えばわかってもらえるだろうか。また同じく前年に発売されたPCエンジンは8bit CPUで2万4800円であった。
ハードの仕様が固まると、次にソフトが急ピッチで開発された。初期はまともな開発環境ではなく、100%の性能も出せない巨大な開発基板を渡され、その使い方を覚えながら、開発期間はこれまでの8bit機のソフトよりも短い、実質2カ月ほどだったというのだから、当時の開発スタッフの苦労が偲ばれる。
メガドライブの記者発表会が行われたのは、製品発売の1カ月前となる1988年の9月のこと。同時発売となる『スペースハリアーⅡ』『スーパーサンダーブレード』のほか、『獣王記』や『アレックスキッドの天空魔城』などが展示されていた。
1988年9月のメガドライブ発表会
(画像提供:セガ)
どれもセガが誇る人気シリーズの続編、あるいはアーケード用最新ゲームの移植だが、前世代機であるセガ・マークⅢ/マスターシステムでは不可能な、鮮やかなグラフィック、大きなキャラクターが目を引いた。中でも『獣王記』はその年の6月にアーケードでリリースしたばかりの最新作で、まだ3カ月しか経っていないのにもうメガドライブ上で、ほとんどそのままのものがプレイできた。
『獣王記』
(C)SEGA
ただし、新しいゲーム機での苦労もあってデバッグに時間がかかり、実際に本体と同時に発売されたのは『スペースハリアーⅡ』と『スーパーサンダーブレード』の2作のみとなってしまった。どちらもアーケードの人気3Dシューティングの家庭用オリジナル続編である。
『スペースハリアーⅡ』は、初代『スペースハリアー』の10年後を舞台にした新作である。実は『スペースハリアー』の続編は、この年の2月に『スペースハリアー3D』という、初代作の前日譚となるゲームがマークⅢ用にリリースされており、そのときのチームが継続して開発した、シリーズ3部作の完結編という位置づけになっている。キャラクターもほぼ一新され、ボスの攻撃方法も、かなりひねりのあるものになっている。
『スペースハリアーⅡ』
(C)SEGA
『スーパーサンダーブレード』を開発したのは、その後も数々の名作をリリースし、『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』を生み出すことになる天才プログラマ中裕司氏の手によるものだ。彼は非凡な才能で、初代『スペースハリアー』をマークⅢに移植してしまったことで、ファンの間でも「セガにはすごいプログラマがいる」と当時から注目されていた人物だが、「あの『スペースハリアー』の続編を裕さんを差し置いてつくるなんておこがましい」と、『スペースハリアーⅡ』には参加せず『スーパーサンダーブレード』の方を選んだそうだ。
『スーパーサンダーブレード』
(C)SEGA
どちらのゲームも前機種のマークⅢ/マスターシステムと比較すれば、圧倒的な表現力を手に入れているのだが、2作とも同じジャンルの3Dシューティングで、かつ、オリジナルの『スペースハリアー』の基板や、システム16Aの改良版であるシステム16Bに搭載されていたスプライトのズーム機能がメガドライブには実装されていなかったため(コストの問題と思われる)、当時誰もがあこがれていた「アーケードと寸分たがわず」、と呼べるものにまではなっていなかった。
発売日に買ったファンとしては、たしかに今までのどのセガのゲームよりも高性能でうれしいのだけれども、なんだか手放しで喜べない感じもする、煮え切らない気持ちになるスタートになった。
その上、ここから1カ月程度のペースで1本ずつ発売された新作群が『獣王記』(11月27日発売)『おそ松くん』(12月24日発売)『アレックスキッドの天空魔城』(1989年2月10日発売)の3本とも、すべて横スクロールアクションなのだ。かつ、どれもやり込めるほどのボリュームを持っていなかったため、勢い余ってこれらのゲームをほとんど買ってしまったメガドライブユーザーは、本体の発売日以上に複雑な気持ちになった。
ただし、よりコアなセガファンになると、メガドライブ発売直前にリリースされていたマークⅢの『R-TYPE』『ダブルドラゴン』『イース』といったタイトルを遊んでいたので、遊ぶゲームには困らなかった。そもそもゲーム機はセガだけではないのであった。
『アレックスキッドの天空魔城』
(C)SEGA
1988年――活況を呈した家庭用ゲーム市場
この1988年、セガ以外の家庭用ハードの年末商戦はとにかく華やかなものだった。まず任天堂のファミリーコンピュータは10月に発売された『スーパーマリオブラザーズ3』を筆頭に、コナミの『グラディウスⅡ』、スクウェアの『ファイナルファンタジーⅡ』、ナムコの『プロ野球ファミリースタジアム’88』、カプコンの『ロックマン2』がリリースされていた。あのBPSの『テトリス』もこのタイミングだ。
さらに1年前に発売された、NEC-HEのPCエンジンもあった。PCエンジンは、8bit CPUながらファミコンやマークⅢから格段に進化したグラフィックや高速処理で、メガドライブや2年後に発売されるスーパーファミコンとも互角に戦ったハードだ。この年末には早くも追加ユニットを発売した。それがあの「CD-ROM2システム」だ。まだ音楽CDプレイヤーも多くの家庭では見かけることのない時代に、世界で初めてCD-ROMシステムを発売。CDによる生音の再生や540MBの大容量を活用したビジュアルの強化などをアピール。同時発売ソフトの中でも特にカプコンの『ストリートファイター』を移植した『ファイティングストリート』の再現度の高さに注目が集まっていた。
最大の難点は価格だ。PCエンジンのCD-ROMユニットは2万4800円の本体とは別に、5万9800円のユニットを購入する必要があり、そこにさらにソフトとなると、合計9万円を超えることになる。『龍が如く0』でも描かれたバブル景気の1988年とはいえ、これを購入できるゲームファンはきわめて限られていた。とはいえ、業界的なPCエンジンへの注目度は高まる一方だった。CD以外のソフトも、この発売1周年目の年末はさらに充実しており、特に人気だったのはナムコの『ドラゴンスピリット』、そしてNECアベニューによる人気アーケードタイトルの移植『ファンタジーゾーン』と『スペースハリアー』だ……?
『ファンタジーゾーン』
(C)SEGA
……さて、当時のセガファンにとって語り草になっているのが、この「ライバルハードに自社のヒット作をライセンスするセガ」の手法だった。実はこの1988年の年末年始にはPCエンジンの2作だけでなく、ファミコンにはサンソフトが『エイリアンシンドローム』と『ファンタジーゾーンⅡ』を、タカラが『スペースハリアー』を移植しリリースしている。
どのゲームも1~2年前にアーケードやセガ・マークⅢでリリースされた、ヒットタイトルである。これらのタイトルが、よりによってメガドライブという新ハードの船出のタイミングでライバル機に続々とリリースされているのを見て驚いたり、メガドライブの購入を止めてPCエンジンのセガタイトルを購入するファンは少なくなかっただろう。
おそらくセガの言い分としては、どれもすでに1~2年前に自社のゲーム機(マークⅢ/マスターシステム)でリリースされたゲームであり、言ってしまえばずいぶんと昔のゲームであるから問題ないという判断だったのだろう。たとえば『スペースハリアー』がどんなによい完成度でファミコンやPCエンジンでリリースされようとも、最新作の『スペースハリアーⅡ』が遊べるのはメガドライブだけと考えれば、むしろ呼び水になるのではないかとすら思っていたのかもしれない。
事実、当時のゲームセンター内のアーケードゲームの移り変わりは非常に激しく、3カ月どころか1カ月もしないうちにお店からなくなってしまったりすることもざらにある時代だった。であれば、価値があるのは何よりも今ゲーセンで遊べる最新ゲームであり、記憶に残る最近のゲームである。
ところが幸か不幸か例外的にこの時代のセガのゲームは人気が高く、『スペースハリアー』の人気は何年経っても衰えることはなかった。
ともかくその結果、3つのライバル機種で、3本の異なる『スペースハリアー』がリリースされるという事態を引き起こしていた。メガドライブを除けば『ファンタジーゾーン』もPCエンジンとファミコン(Ⅱ)で競合していたりした。
というわけで発売と同時に、ライバルに対して圧倒的な性能を見せつけるということもなく、静かなスタートを切ったメガドライブの戦いの場は1989年の春へと進むのであった。
奥成洋輔(おくなり・ようすけ)
1971年生まれ。1994年に株式会社セガ・エンタープライゼス(現・セガ)入社。2000年DC『エターナルアルカディア』でアシスタントプロデューサーを担当、2004年にPS2『サクラ大戦V EPISODE 0 ~荒野のサムライ娘~』を初プロデュース。2005年以降旧作の復刻を数多く手掛ける。最新作は『メガドライブミニ2』。その他主な作品にニンテンドー3DS「セガ3D復刻プロジェクト」シリーズ、『メガドライブミニ』(初代)『ゲームギアミクロ』など。