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ストック・オプションのスキームの一つとして、信託受益権方式のストック・オプション(時価発行新株予約権信託®)をご存知でしょうか。時価発行新株予約権信託®は、漆間総合法律事務所の代表弁護士の松田良成氏と企業価値評価・算定機関のプルータス・コンサルティングが共同開発した手法です。2015年6月に東証マザーズに上場したバイオベンチャー(当時)のヘリオスが2014年6月に導入したのが最初で、現在、その導入事例は100社を超えています。

公表されている主な導入事例としては、MTG、PKSHA Technology、IDOM、PR TIMESがあります。SmartHRはじめスタートアップ企業でも活用する例が見られます。私自身が役員を務めていた会社でも導入しました。

それではなぜ、そもそもこの時価発行新株予約権信託®を活用する例が多く出始めているのでしょうか?

近年の上場ベンチャーで増える「信託受益権方式」とは?(写真:長田洋平/アフロ)

ストック・オプションの実務上の問題

活用が増える理由としては、時価発行新株予約権信託®が、役職員へのインセンティブ付与の手段として一般的に用いられてきたストック・オプション制度のデメリットを解消できるからです。従来のストック・オプションにおける実務上のデメリットとしては、以下の点が指摘されています。

■ 発行時の対象者への期待と、実際の貢献度の間に乖離が生じる

ストック・オプションを発行した会社において、発行時点においては対象者(役職員)の将来の貢献度に期待して多く発行したにもかかわらず、当該役職員の実際の貢献度は期待と大きく乖離してしまった、という話をよく聞きます。

しかも、事後的に当該役職員のストック・オプションを減らすといった調整もできないため、対象者間の不公平感・不満につながるケースもあります。

特にスタートアップにおいては、成長段階につれて役職員に求められる貢献の内容・度合いが大きく変化するため、このような乖離が生じる可能性は高くなります。

■ 後に付与された者に対しては、権利行使価額が高くなり、かつキャピタルゲインが少なくなる

役職員に対するインセンティブ報酬としては、税制適格ストック・オプションのかたちで付与することが一般的です。税制適格ストック・オプションの要件は以下の表のとおりですが、下線で強調してあるように、権利行使価額は発行時の時価相当額以上と定める必要があります。

【図表2-6】税制適格ストック・オプションの要件

しかし、成長フェーズにある会社においては時価相当額が右肩上がりとなるため、後に付与された者(役職員)のストック・オプションの権利行使価額は必然的に高くなってしまいます。また、後に付与された者の株価上昇分の利益(=譲渡時株価と権利行使価額との差額)は、先に付与された者(役職員)に比べると必然的に少なくなってしまいます。

【図表2-7】ストック・オプション付与時期の違いによる株価の差額

特にスタートアップにおいては、わずかな付与タイミングの違いでこの差が大きく開くこととなるため、不公平感を生じさせてしまいます。また、後から入社した優秀な役職員にインセンティブのためのストック・オプションを発行する際、その内容について経営者が頭を悩ませることが往々にしてありました。

■ 煩雑な発行手続や管理コストの負担の点

従来のストック・オプション制度においては、役職員の増加の都度、新たなストック・オプションを発行しなければならず、また発行したストック・オプションの内容変更・消却・行使等があった際にも変更登記等の手続を行う必要がありました。管理コストもかなりの負担となるため、スタートアップ企業においてストック・オプションの管理が不十分であるケースも少なくありません。

以上のデメリットは、いずれも「発行時において都度、対象者・個数等の内容を確定しなければならない」点に主たる原因があります。

会社法上、ストック・オプションとして役職員等に新株予約権の第三者割当をする際は、発行時点において、新株予約権の対象者やその個数を確定しなければなりません(会社法236条1項、243条1項参照)。

これにより、ストック・オプションが役職員に対するインセンティブ付与の手段として十分に機能せず、また、コストがかかるため“使いづらい”部分がありました。

ストック・オプション信託のメリット

このような従来のストック・オプション制度の問題を解消したのが、「時価発行新株予約権信託®」(ストック・オプション信託)です。そのメリットは、一言でいうと「発行時において、対象者・配分等を確定しなくてよい」ことにあります。具体的なメリットは以下のとおりです。

■ 実際の貢献度に応じて役職員にストック・オプションを付与できる

時価発行新株予約権信託®では、一定の期間が経過した後にストック・オプションの対象者・配分等を決定することとなるため、当該期間までの役職員の貢献度を考慮することが可能となります。

■ 入社タイミングによる権利行使価額、キャピタルゲインの格差が生じない

ストック・オプション信託における権利行使価額は、信託設定時点での時価相当額をベースに決定され、後に付与された者においても当該価額のストック・オプションが付与されることとなるため、従前のストック・オプションにおける不公平感を解消できます。

【図表2-8】ストック・オプション信託における権利行使価額

■ 発行手続・管理コストを抑えることができる

ストック・オプション信託を用いることにより(別途信託設計にかかるコストが生じるものの)、ストック・オプション自体の発行等を一挙に行うことができ、手続・管理コストを抑えることができます。

以上のメリットがあることから、信託活用型ストック・オプションは広く活用されるべきであり、特にスタートアップにおいては、積極的に導入を検討されるとよいものと考えています。

導入にあたって注意する点

なお、ストック・オプション信託の導入にあたっては以下の点に注意する必要があります。

■ 権利が不確定ゆえ、役職員に対するインセンティブの効果が希薄化し得る

「発行時において、対象者・配分等を確定しなくてよい」ということは、逆にいうと、「発行時には役職員に確定的に帰属していない」ことになります。例えば、新たにメンバーとなって欲しい人に「ストック・オプション信託があるから加入して欲しい」と伝えても、誘われた人は加入時に確実にストック・オプションを得られるかどうか判断できません。一方、「加入すればストック・オプションを分配する」と誘われれば、確実に加入するメリットを感じられます。

そのためストック・オプション信託は、創業期・シードやアーリーといった初期のフェーズに、リスクを取ってコアメンバーとなってくれるようなメンバーに対するインセンティブ付与の手段としては馴染みません。したがって、事業が軌道に乗り、採用が加速する十数人以上となった段階に導入すべきスキームであると考えます。

■ 導入のイニシャルコスト

ストック・オプション信託は後述するように、委託者(代表取締役等)が、将来の対象者(役職員)に対してストック・オプションを発行するために、信託設定時に一定のまとまった金銭を信託する必要があります。また、ストック・オプション信託を導入する際に専門家に依頼する費用は一般に高価です。そのため導入の際は、これらのコストについても検討する必要があります。

ただし長期的に見れば、従来のストック・オプションを用いるよりもプラスとなることは多いと考えます。

■スタートアップはストック・オプション信託を活用するべき

ストック・オプション信託の仕組みについて、その概要を図示します(下記スキームは一例です)。

【図表2-9】ストック・オプション信託の仕組み概要
【時価発行新株予約権信託のスキーム図】

図を見てもわかるとおり、ストック・オプション信託は従来のストック・オプションとは異なり、「委託者」「受託者」といった当事者が登場し、役職員等は「受益者」という名称が付されています。これらは信託の仕組みを用いることから必要となります。

「信託」と聞くと、信託会社による投資信託の複雑なスキームを思い浮かべ、拒絶反応を示す方も多いかもしれませんが、ストック・オプション信託においてはそのような複雑な仕組みを用いる必要は必ずしもありません。

なお、ストック・オプション信託は、上場前の権利行使価格で上場後も付与できることから、上場後の優秀な人材獲得やM&Aによる相手先経営者への付与などで案件獲得に有効です。私自身も上場後にこの制度を導入しておけば良かったと感じる場面が多々ありました。特にスタートアップなどはこの制度を有効に活用すべきでしょう。