2022年もデイル・コインの名が冠されたマシンはNTTインディカー・シリーズに2台エントリーされた。
51号車は2021年と同じくDCRとリック・ウェアー・レーシングが提携(資金供与)して走らせるもので、ドライバーにはロマン・グロージャンに代わって佐藤琢磨が起用された。
もう1台の18号車は4シーズンに渡ってバッサー・サリバンとのジョイントで走らせてきていたが、バッサー側が十分なスポンサーマネーを確保できなかったためにインディカーから撤退。
DCRは新たなパートナーを迎え入れることになった。それはインディライツで急成長を遂げてきているHMDモータースポーツだ。
HMDのオーナーはソ連崩壊後にリトアニアからアメリカへと移り住んだヘンリー・マルーカス。運送業で成功した彼はアメリカ生まれの息子デイビッドを2020、2021年に自ら興したインディライツチームで走らせ、2021年にアンドレッティ・オートスポートで走るカイル・カークウッドとチャンピオンの座を争った。
デイビッドは惜しくもタイトルは逃したが、7勝という堂々たる成績を残してインディカーへとステップアップする。HMDはインディライツでの活動も続けつつ、インディカーへ進出する足掛かりをDCRとのジョイントで掴んだのだ。興味深いことに、DCR側もこれを契機にインディライツ参戦に関与することとなり、彼らのチーム名はHMDモータースポーツ・ウィズDCRに変わった。
キャリア6勝、そのうちの2勝がインディ500でポールポジション獲得10回という琢磨とルーキーのマルーカス(インディカーデビュー時は20歳)という組み合わせは、チームメイトから多くを学び取れる点でルーキーにとっては最高の環境だ。
しかし、その一方でベテランにとってはチームメイトがルーキーひとりだけ……というのは決してありがたい体制ではない。その若手の面倒を見るばかりで、マシンのセッティングなどで協力を期待することができないからだ。
開幕戦のセント・ピーターズバーグ、マルーカスはレース序盤に単独でクラッシュするルーキーミステイクを冒した。テストのできないレッドタイヤでファーストスティントを走り、その性能を体感できたことは救いだったが、ブラックタイヤにスイッチしてすぐにウォールにヒット。
二種類あるタイヤの両方をレースコンディションで試し、そのパフォーマンスの変化を経験することができなかった。しかし、驚いたことにマルーカスはこの失敗以降、ミスらしいミスをしないでレースを重ねていった。
ハイバンクの高速オーバルであるテキサスでは予選19番手から11位フィニッシュ。インディ500は予選が13番手でレースはルーキー最上位となる16位。そして、その次のデトロイトでは、インディカーのロード&ストリートでの熾烈な予選で初めてファイナルに進んで6番手につけ、レースを11位で完走した。
この頃からマルーカスは高いレベルでの安定感を示すようになり、ロード&ストリートの予選ファイナルにトロントでも進出。予選でのトップ10入りは7回を数え、レースでも3回のトップ10フィニッシュを記録した。
ハイライトはシーズン終盤の第15戦ゲートウェイでの2位フィニッシュだ。キャリア初の表彰台登壇をルーキーにして達成したマルーカスはシリーズランキング16位でデビューシーズンを終えた。残念ながらルーキー・オブ・ザ・イヤーは彼より18点多く稼いだクリスチャン・ルンガー(レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング)の手に渡ったが、ショートオーバル、高速オーバル、ストリート、ロードのすべてで高いパフォーマンスを発揮していたのはマルーカスの方だった。
琢磨のDCR入りは、彼にとってのインディ500における3勝目=DCRのインディ500初優勝が目指されて実現した。世間の評価は低い方の部類に入るDCRだが、高速オーバルにおける彼らのマシンに純粋なスピードが備わっていることはインディカーの世界では常識となっていた。
琢磨は高速オーバルのテキサスで予選3番手となり、インディ500でも予選で10番手に食い込んだ。しかし、勝利だけを目指したアグレッシブなマシンセッティングによってレースでは苦戦を強いられ、インディ500での3勝目を飾ることはできなかった。
それでも、琢磨の優勝に照準を合わせた理詰めの戦い方を内側から見ることとなったチームは、大きな感銘を受けていた。
続くデトロイトで琢磨は予選2番手となり、ストリートでもまだまだスピードがあることを世間に知らしめた。しかし、ここで上位フィニッシュを逃した後からパフォーマンスが一気に低下していく。
若いチームメイトがどんどんスピードアップをしていくのとは対照的に、琢磨の走りは精彩を欠き、デトロイトでの予選2番手という結果はいとも簡単に忘れ去られ、ストリート&ロードでベテランはパフォーマンス不足……との見方さえされていた。
シーズン半ばから琢磨が不振に喘いだのは、フロントウィングやモノコックに問題が生じ、マシンが施したセッティングの通りに、想定した動きをしていなかったためだった。
それらが判明したのはシーズンが終盤戦に入ってから。その頃にはレース中のアクシデントによって琢磨が手に亀裂骨折を負っており、力をフルに発揮できない状況と、負のスパイラルに完全に陥ってしまっていた。
琢磨の2022年のベストリザルトは第15戦ゲートウェイでの5位。チームメイトが表彰台に上ったレースだが、イエロー中のピットタイミングを逃さなければ、琢磨が勝っていた可能性も十分にあった。
■琢磨が苦しんだ要因
琢磨が今季苦戦した大きな要因として、移籍を決めた後のシーズンオフにDCRのポテンシャルが大きく引き下げられてしまったことも挙げられる。チームのトップエンジニアだったオリビエ・ボアッソンをグロジャンがアンドレッティ・オートスポートへと引き連れて行くことはわかっていた。
DCRはボアッソンに代わる優秀なエンジニアを新たに見つけてくる必要があったが、それを果たせなかった。ジョセフ・ニューガーデンに二度目のタイトルを獲らせたチーム・ペンスキーのエンジニア=ギャビン・ワードが2022年シーズンを前にアロウ・マクラーレンSPに引っこ抜かれたことで明らかなように、現在のインディカーは深刻なエンジニア不足。
そうそう簡単に優れたエンジニアを見つけてくることなど不可能に近いのだ。ボアッソンの後任としてDCR内部でテクニカルディレクターへと昇進したロス・バネルは、早い時点でマルーカスの担当となることが決定していた。
チームオーナーのデイル・コインが、ルーキーには彼をあてがうのがベストで、経験が豊富でテクニカルな面にも非常に造詣の深い琢磨にはエンジニアが誰になってもそれをカバーすることが可能だろうと考えたからだった。
最終的に琢磨の担当エンジニアは、ベテランだがインディカーでメインのエンジニアとしてフルシーズンを戦ったことのないドン・ブリッカーに決まった。それは2022年シーズンの開幕が間近に迫った頃だった。
ブリッカーは琢磨のストラテジストも兼ねる体制とされたため、彼にかかる負担は大きくなっていた。メインとしてフルシーズンを戦うのが初めてだった彼には刻々と変化する戦況を把握し切り、ベストの選択を行うことのできないケースもあった。
ゲートウェイがまさしくそれだった。あと1秒早くピットインの決断を下せていたら、琢磨は優勝か、それに近い成績を残せていたはずだ。
もうひとつ琢磨にとって手痛かったのは、2021年シーズンをもってバッサー・サリバンがDCRを離れ、多数のクルーを失ったことだった。
日本人クルーふたりの加入によってレベルアップがなされた面もあったが、人数がそもそも少なく、データエンジニアがフューエラーを担当していたことからもわかる通り、ピットストップ要員のクォリティには厳しいものがあった。琢磨はデビューイヤーの2010年の21位に次ぐ低順位ランキングとなる19位でアメリカでの13回目のシーズンを終えた。
「インディ500は勝ちにいきましたし、デトロイトの予選でフロントロウを獲得できました。ゲートウェイでは勝てそうでした。うまくいかないことも多かった1年でしたが、良いところもありました」と琢磨はシーズンを振り返った。
マルーカスはブネルを担当エンジニアにつけたチームの期待に応え、将来を嘱望されるアメリカ出身の若手という地位を手に入れた。
彼はラグナセカでのレース後、「ルーキーとして、琢磨をチームメイトとして戦えたことはとても大きなプラスでした。特にオーバルコースでは、彼の持つ経験や知識の豊富さに驚かされ、本当に多くのことを学ぶことができました」と語っていた。
そしてオーナーのコインは、「勝ち方を知っているベテランと才能あふれる若手、このコンビネーションで来年も戦いたい」と最終戦終了後に2023年に向けたプランを語った。
彼らは以前のような勝てるチームとしての地位を取り戻すために、エンジニアリング体制の強化、ストラテジストの起用、クルーの増員、ピットストップのスピードと確実性向上などを来シーズン開幕までに実現させる必要があるだろう。