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F1ホンダ製パワーユニットがタイトルW受賞 撤退すべきじゃなかった? それとも…??

 今シーズンのレッドブル「RB18」は、2022年新規則グランドエフェクトの車体とホンダ製パワーユニット(PU)の高いパフォーマンスが見事なコラボを見せ、ライバル達と一線を画しレベルの違う速さを見せつけた。レッドブルはホンダPUを信じて独自の車体開発に取り組み、存分に力を発揮させてのチャンピオン獲得であった。そのチャンピオン獲得に大いに貢献したホンダ、しかし昨年(2021年)正式にF1撤退を発表してのこの結果。なぜホンダはこうもやめるタイミングが悪いのか。元F1メカニックの津川哲夫氏が解説する。

文/津川哲夫
写真/Redbull,Mercedes,Ferrari

【画像ギャラリー】ドライバーズ&コンストラクターズW獲得のレッドブル。来年度は他チームもパフォーマンスを向上してくるか。(3枚)画像ギャラリー


PUは表向きホンダ・ワークスではなく、レッドブル・パワートレインズ

アメリカGPでマックスが優勝。レッドブル・ホンダ、ダブル・ワールドチャンピオン獲得!

 コングラチュレーション!! 祝・レッドブル・ホンダ、ダブル・ワールドチャンピオン獲得!

 前回の鈴鹿でマックス・フェルスタッペンがドライバーズタイトルを決め、続くアメリカで念願のコンストラクターズチャンピオンを獲得。一昨年までのメルセデスの独占を考えれば快挙と言ってよい。そしてレッドブルのボス、デートリッヒ・マティシス氏逝去直後のグランプリ、まさにマティシス氏に捧げるチャンピオン獲得である。

  冒頭での説明のとおり、今季ほぼ完璧なパフォーマンスを見せているレッドブルだが、実は搭載されているPUは、表向きホンダ・ワークスではなく、レッドブル・パワートレインズのPUなのだ。

  もちろんRB18には鈴鹿以後「HONDA」のステッカーが貼られているが、現実にはHRC(ホンダ・レーシング・コーポレーション)によるメインテナンスのサービスを受ける「RBPT」のPUであって、昨年末をもってF1を撤退したホンダは(コンストラクターズの勝利にもかかわらず)名目上前面に出ることはない。

1960年代のホンダ第1期はまさに本田宗一郎の挑戦であったが志半ばで撤退

 ホンダF1の歴史を探ってみると、第1期はまさに本田宗一郎の挑戦であり、無垢な日本の技術の挑戦でもあった。

 ホンダF1第1期(1964~68年)の終了は世の中がアメリカの大気浄化法(マスキー法)などの自動車排気ガス浄化が必須となり、この開発の為と経済的な理由が大きく影響している。この撤退時のドライバーで元ワールドチャンピオンのジョン・サーティースによれば、「あのまま開発の継続とチーム造りを続ければ翌年のチャンピオンを狙えたかもしれない」と語っている。

 つまりホンダF1完成期の一歩手前で残念にも参戦を続ける力が尽きてしまったわけだ。

ウィリアムズからマクラーレン。完膚なきまでにF1を席巻したホンダ第2期

ホンダのRA167Eを搭載したFW11Bはマンセルとピケでダブルタイトルを獲得

 ホンダはその15年後に再びF1へと進路をとった。F2で成功を収めたV6エンジンをベースにF1へと駒を進めた。第2期(1983~1992年)の成功は早く、1983年スピリットチームでデビュー、翌年はウィリアムズに移り第9戦目ダラスで初優勝を決め、ここからがホンダF1第2期の進撃が始まった。

 1984年は1勝、翌85年に4勝を挙げ、86年には実に9勝、この年ホンダエンジンで初のコンストラクターズチャンピオンを獲得。続く87年にはついにダブル・タイトルへと行き着き、さらにマクラーレンに鞍替えした88年にはマクラーレン・ホンダとして16戦15勝の快挙を成し遂げた。セナ・プロストの確執を内包しながらも、89年、90年、91年とF1グランプリを席巻し続けた。しかしホンダは92年を最後にF1からの撤退、バブル時代の終焉で世の中の経済状況の著しい変化が撤退理由であった。それでもその後のF1業界には無限ホンダとして残り、F1史での大きなエポックメイカーとなった。第1期そして第2期のホンダF1には確たる信念とコンセプトがあり、ホンダのイメージにもホンダの技術にもF1業界にも大きく貢献したと言ってもよいだろう。

F1史上最高額の予算を使いながら僅か1勝のホンダ第3期

 第3期ホンダF1参戦(1998~2008年)は初期の思惑と大きく違ってしまった。ホンダ独自チームでの参戦計画は一年のテストチーム活動の末、突然BARと契約してしまった。それもチームではなくエンジンサプライヤーとしてスタート。莫大な投資を含む多量のリソースを投入し、最終的にはBARを買収しホンダ・ワークスを名乗るも、結局8年間の活動をもってチームをロス・ブラウンに譲渡。それまでのF1史上最高額を使いながらもわずか1勝という極めてコスパの悪い参戦期を終えている。

 撤退の理由はリーマン・ショックで世界経済の恐慌が大きな理由だが、チームは1年間の支度金つきでブラウンにほぼ無償で譲渡。ブラウンはその初年度にメルセデスエンジンを搭載してチャンピオンを獲得してしまったのだから、世間は“ホンダが撤退しなければチャンピオンになったのでは?”と騒がれた。

 だが現実には当時のメルセデスエンジンには巨大なパワーがあり、ダブル・ディフューザーのトリックが功を奏したチャンピオンでもあった。

 そして、ホンダ最後の年のエンジンはメルセデスエンジンと大きなパワー差があったと当時のブラウンGPのエンジニアは語っている。またホンダエンジンはまだ完成型ではなく、いくつかのトラブルの解消が望まれていたという。

 もちろん翌年向けの開発によってこれらが解消されパフォーマンスが向上したかもしれない。しかし、果たしてダブル・ディフューザーが遵法とされただろうか。2005年イモラ事件以降BARとFIAの仲が険悪だったのだからダブル・ディフューザーは違法とされていた確率は高い。

ホンダF1をこれからも見たい。2026年以降もレッドブルと突き進んで欲しい

マックスは第18戦日本GPで優勝、2年連続のドライバーズチャンピオンとなった

  それにしてもホンダのF1プロジェクトはいつもやめるタイミングが悪い。いつも掴めるところまで来ての撤退を繰り返してきた。もっともホンダのF1参戦は最大10年が最長で、それも第2期だけだ。

 どのチャレンジも10年以下の参戦で、それもトップエンドに手が届きそうなところで撤退を繰り返してきた、それも唐突に。

 ホンダの内部事情はしらないが、F1プロジェクトはいつの時も10年は持たないというのがこれまでの結果。ならば最初から10年計画でプログラムを立ち上げれば良さそうなものだが、それができないホンダにはファンとしては歯痒い思いをさせられている。

 今回も状況は同じに見えるが、これまでと違い、ワークスの撤退はしても2025年までのコミットメントが続く。

 これはこれまでのホンダのスタイルを崩す快挙であり、ホンダの新たなF1への関わりを示唆するものだ。もちろん我々の願いはそのまま26年以降もレッドブルと供に突き進んで行ってくれることだ。

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津川哲夫
 1949年生まれ、東京都出身。1976年に日本初開催となった富士スピードウェイでのF1を観戦。そして、F1メカニックを志し、単身渡英。
 1978年にはサーティスのメカニックとなり、以後数々のチームを渡り歩いた。ベネトン在籍時代の1990年をもってF1メカニックを引退。日本人F1メカニックのパイオニアとして道を切り開いた。
 F1メカニック引退後は、F1ジャーナリストに転身。各種メディアを通じてF1の魅力を発信している。ブログ「哲じいの車輪くらぶ」、 YouTubeチャンネル「津川哲夫のF1グランプリボーイズ」などがある。
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投稿 「撤退したら年間優勝」を繰り返す最悪のジンクス… なぜホンダF1はいつも撤退のタイミングが悪いのか自動車情報誌「ベストカー」 に最初に表示されました。