シンガポールGPの木曜会見で最初に質問を受けたのは、前戦イタリアGPを欠場したアレクサンダー・アルボン(ウイリアムズ)だった。虫垂炎で入院後、一時呼吸困難に陥ったものの、数日で退院。レース復帰にこぎ着けた。
Q:アレックス、気分はいかがでしょうか?
アルボン:準備万端という感じかな。この1週間、いや、ほぼ2週間、今日のような状態にまで回復させるためにトレーニングを積んできたしね。とはいえ1年で最も(体力的に)厳しいレースに臨むのだから、そこは意識しなければならない。でも気分はいいよ。カートでも、ガンガン走ったしね。いい感じだったよ。
Q:痛みは?
アルボン:全然ない。
Q:傍観せざるをえなかったモンツァは、あなたにとって非常にフラストレーションのたまる週末だったのでは? 代役のニックス・デ・フリースが、非常にいい仕事をしましたしね。
アルボン:実はレース直前まで、ずっと眠っててね。目覚めたのは、レース開始の30分前だった。でも中継を観ていたら、やっぱりイライラしたし、実際心拍数も少し上がっていた。なので病院スタッフから、TVのスイッチを切らないといけないと言われた。金曜日に走った時はすごくマシンの感触がよかったから、土曜日もこのまま走ろうかどうしようか、正直かなり迷ったよ。でも結果的に、(欠場は)正しい判断だった。
ニックは本当にいい仕事をしてくれた。モンツァで僕らが速いのはわかっていたとはいえ、彼がポイントを持ち帰ったのは素晴らしい。チームにとって、明らかにいいことだったしね。
Q:退院後も、呼吸不全の影響はかなり深刻だったのでは?
アルボン:基本的に肺の回復を待つことになるので、厄介なものなのは確かだね。体も普段のようには動かせなかったし。だからいきなり通常のトレーニングに戻ることはできず、徐々に慣らしていくことにしたんだ。先週の月曜日くらいからかな、本格的にプッシュし始めたのは。そこから日ごとに調子を上げていった。その時点ではまだシンガポールからの復帰に100%確信はなかったけど、回復のスピードが予想以上に速かった。それでじっくり検討して、ここに来ることを決めたんだ。
もちろん初日の結果を見る必要はあるし、何よりシンガポールは本当にタフなコースだからね。一方で後遺症への不安も、ないわけじゃない。でもさっきも言ったように、レースに出られると思わなかったらここにはいないよ。
Q:今回のことは、あなたにとってかなりの試練だった?
アルボン:挫折という意味で? いや、その意味では、小さなことだよ。今までも、レースを逃したこともあるし。僕は今回、とても幸運だった。イタリアにいた優秀な医師たちが、僕をいい状態に戻してくれたからね。単に1レース逃しただけだから、たいしたことじゃない。
そしてアルボンは初日の2回のセッションもしっかり周回を重ね、2日目以降の出場を決断した。
■批判を受けたメルセデスへの移籍。2度目のタイトルは「僕たちを次の成功へと導いた」とハミルトン
同席したルイス・ハミルトン(メルセデス)は、シンガポールに行く前にアメリカに飛び、しばらくハリウッドに滞在していた。ハミルトンがブラッド・ピットと進行中のF1映画制作は、F1メディアも大いに関心を持っている。
Q:ハリウッドでは(著名な映画プロデューサーの)ジェリー・ブラッカイマーと会っていたようですね。あなたも制作に関わるF1映画に関することだと思います。この作品の進捗状況は? 撮影は始まっているのでしょうか? 出演が決まっている有名人はいますか?
ハミルトン:これに関しては、あまりアップデートはないかな。まだ脚本に取り掛かっている段階で、それでLAに行ったんだ。前回の滞在では、ブラッドと計画を話し合った。そして今回は、エディ・マーフィーの映画の撮影現場でジェリーと会った。僕はエディ・マーフィーの大ファンなんだ。
話題は転じて、マックス・フェルスタッペンが2度目のタイトル獲得目前の状況にちなみ、ハミルトンが自身の2度目のタイトル獲得時の思い出を語った。
Q:ルイス、あなたの2度目のタイトルについて、それが何を意味し、どんな感じだったか、振り返ってみてください。その後、何が大きな違いを生んだのでしょうか?
ハミルトン:間違いなく、僕の人生は大きく変わったよ。なぜなら、当時の僕は明らかに乾ききった時期で、他チームへの移籍という飛躍的な一歩を踏み出したあとだったからね。
少し話を補足すると、ハミルトンは最初のタイトルをマクラーレンで2008年に獲得。しかしその後の4シーズン、チャンピオンになれなかったことから、2012年末にメルセデスへの移籍を決断した。当時のメルセデスはまだ勝てる力がなく、この移籍は多くの人から批判された。
ハミルトン:周囲の人々、僕が師と仰ぐような人たちからのアドバイスにも、逆らうことになった。彼らはみな、「今の場所に留まれ、じっとしてろ」と、言っていたからね。でも2012年のシンガポールのレース後、タイでとても穏やかな気持ちで過ごしていたときに、「このままではいけない」と思ったんだ。でも一歩を踏み出してみると、明らかな反発を受けて、本当に正しい決断だったのかどうか疑問を抱くようになった。移籍後も何年もの間、疑念を抱き、本当に正しい決断だったのかという疑問が頭をよぎり、それを常に克服し、信じ続けなければならなかった。そしてついに2度目のタイトルを獲得できて、それが僕たちを次の成功と発展へと導いてくれた。その意味で(2度目のタイトル獲得は)とてつもなく重要なポイントだったよ。