スーパーフォーミュラ第9戦JAF鈴鹿グランプリ。2年連続でチャンピオンを決めた野尻智紀(TEAM MUGEN)だったが、大本命としてのプレッシャーは本人の予想を越えるほどの大きさだった。
「最近レースを見ているとわかると思うのですけど、いろいろな状況を常に考えながらレースをしなければいけなくて、それがうまくいったところもあったのですけど、本当はもうちょっとプッシュしたいという局面もあったりしたし、その辺がさらにどんどん重荷になっていった。もう獲らないわけにはいかないというところまで、自分自身もかなり追い詰められていたところもあって、ポイント差はあれだけあったのですけど、なんであそこまで自分の中で追い詰められていたのかなって、今考えると不思議なくらい、追い詰められていた気がします」
実際、今季は開幕戦から3戦連続で表彰台を獲得して(うち1勝)ランキング首位に立ち続ける展開となったが、シーズン終盤にかけて、TEAM MUGENの田中洋活監督が「守りのレースになっていた」というように、野尻智紀とチームはチャンピオンを意識した戦いになっていた。そのチャンピオン、そして2連覇へのプレッシャーはじわじわと野尻に積み重なって大きくなっていった。
「昨日の夜は寝れはしましたけど、あまりいい夜ではなかった。いろいろなことを気にしましたね。ポイント差を確認したり、過去の映像で走りを確認したりとか、自分でも何をしたらいいのかわらないくらい、何も手に付かないじゃないですけど、そういった感じの時間をひたすら過ごしていました。昨日の夜はもう、ここ数年でも一番ひどいくらいの精神状態だったかなと」
土曜日を迎えてサーキットに来ても、野尻は大きな重圧を感じたままだった。
「今朝走り出す前までも、正直、顔は死んでいたくらい。自分でも『この顔は青ざめているな』とわかるくらいプレッシャーはありました。今日の予選前は挙動不審でしたね。いつもは見ないオンボード映像をなんとなくずーっと見ていたり、椅子に落ち着いて座るということがなかったですね。」
そのプレッシャーは、セットアップを変更して臨んだ予選Q1の手応えで和らぎ、そしてQ2でポールポジションを獲得することで、いつもの野尻らしさを取り戻していった。
スタートでは「今年でも一番いいくらいのスタートだったんじゃないかと思う」という程の好スタートを決め、2番手の宮田莉朋(Kuo VANTELIN TEAM TOM’S)が出遅れたこともあり、余裕を持って1コーナーに進入した。
「1コーナーに入るときはクルマをちょっと振る(タイヤを温める動き)くらいの余裕がありました。そこで、このままファーストピットまでのレースの流れを間違いなく作れるなというところはあったので、そこまでどうコントロールするかですね。後ろのペースを見ながら、誰が本当にライバルなのかを見極めながらレースを進めていこうという感じでしたね」
チームメイト笹原右京がピットウインドウのミニマム周回数(10周終了時点)でのピットストップを決めていたこともあり、周囲の状況を見て翌11周目に野尻智紀はピットイン。
しかし、ピット前から2番手だった笹原のペースが速いこともあり、野尻はピットタイミングで抜かれることを覚悟していたが、実際、野尻のアウトラップで背後に付いた笹原はヘアピンで野尻のインに入り、オーバーテイク。首位を明け渡すことになった。
「僕のピットのタイミングが1周遅かったので、どのみちアンダーカットされるなというところはあった。仕方ないかなというところはありました。僕としては本当に低内圧の時にプッシュしてタイヤを壊してしまうということをまず第1に避けたいという思いもあったので、あまり無理をせず、ピットイン前も右京選手はオーバーテイクボタンを使って差を詰めてきていたので、そこまで大きくブロックラインを通るというのは、あの瞬間の僕にはできなかった」と野尻。
実は今回のレースでは野尻の無線はチーム側の声は聞こえるが、野尻の声はチームに届いていないという状況だったが、そこは実際に話せなくても、阿吽の呼吸で切り抜けることができた。
「昨日からちょっと無線の調子が悪くて、予選の時は直ったと思ったのですけど、また同じようなトラブルが再発してしまった。実は決勝中も僕からの無線は通じていなかったみたいで。レース中は僕からこういうインフォメーションがほしいというところはできなかったのですけど、ただ、チームはいつも僕と話をしていて『こういう時に野尻はこういう情報がほしいだろう』とわかってくれているので、今日のレース中も常にいい情報を与え続けてくれて、こちらからの無線が通じなくても、そこで何かがマイナスになることはなかった」と、野尻とチームは無線のトラブルを難なく乗り越えることができた。
そして2位をキープしたままチェッカーを受けて、2年連続のチャンピオンを決定した野尻。レース終了後の周回は、ウイナーの笹原とランデブー走行でゆっくりと最後にパルクフェルメに帰って来ることになった。
「チームから無線が入って、『この瞬間をよく味わって下さい』みたいな無線が入っていたので、ゆっくり帰ってきました。去年はとにかくうれしさがあって、周りを見る余裕なんてなかったですけど、今日はこの鈴鹿でお客さんが手を振ってくれる姿とか、たくさん見れましたし、本当に1年間頑張ってきてよかったなと、心の底から思いましたね」
そのチャンピオン決定のウイニングランで、野尻は笹原を前に行かせる配慮を見せ、さらにパルクフェルメにマシンを止めてからも、野尻らしさを見せた。パルクフェルメにマシンを止めた野尻にカメラマンが集まるなか、野尻は笹原の方に注目するように、身振り手振りでカメラマンを誘導したのだ。
「僕も経験があるのですけど、今日は僕が目立ちすぎたというのがあって。チャンピオンが決まったレースで、優勝したドライバーが陽の目を見ないというのを僕も経験してきたので(苦笑)。右京選手が優勝して彼の強さが発揮されたレースだったと思うので、そこは僕以上に一番、彼が注目されるべきだと思いました。(ウイニングランでも)チームからの無線で『並んで(走って)』と言われたのですけど、右京選手が前でいいかなと」
もちろん、マシンを降りて野尻もしっかりとガッツポーズを獲ったが、それよりもチームメイトの勝利を讃え、そして自分が目立つことをあまり好まない職人肌のようなキャラは、まさに野尻らしいとも言える。その控えめな野尻が大きなプレッシャーを見事はね除け、日本のトップフォーミュラでは2007、2008年の松田次生以来の連覇を果たした。野尻も、去年のはじめてのタイトル獲得との違いを強調する。
「もう、うれしさで言うと、なんて言うのでしょうね……やり切ったというか、より重いものから解き放たれた感は今年の方が圧倒的に強いです。みんなができると思って見ているし、チャンピオンは僕だと思って見ているところもあったので、それがどれだけ自分に重くのし掛かっていたのか、今になってよく分かりました。プレッシャーはあまり感じていないというコメントもしたりもしますけど、ドライバーはそんなわけはないです(笑)」
実はレース後の野尻の体重は、金曜の夕方に計測したときより1kgも減っていて、レース後の計測では危うく最低重量より軽くなってしまうほどだったという。おそらく、ここ1日、食べ物も飲み物も満足に喉を通らなかったことが想像される。その重圧を経験し、そして乗り越え、野尻は歴史的な2連覇を達成した。