もっと詳しく

 いよいよ日本に帰ってくる、ラリージャパン。WRC世界ラリー選手権『フォーラムエイト・ラリージャパン2022』が、11月10~13日にシーズン最終戦として愛知県と岐阜県を舞台に開催される。北海道での開催以来、実に12年ぶりのカムバックとなる日本での世界選手権を楽しみ尽くすべく、ここではエントリーリストに名を連ねる有力参戦ドライバーや、今季より導入の最高峰“ラリー1”クラスの最新ハイブリッド車両の成り立ちや個性を紹介する。その第4回は、初代“セバスチャン”の後継者としてWRC黄金時代を継承したフランス出身の天才、フォルクスワーゲンとフォード時代の6連覇を含む、8度のワールドチャンピオンに輝いた新世代レジェンド【セバスチャン・オジエ】にスポットを当てる。

 体操選手として代表クラスの実力を持っていたセバスチャン・ローブの“絶対王政”を止めたのは、同じくラリーストになる前にスキーインストラクターとして仕事をしていたオジエだった。

 日本を代表するラリーストとして、FIA世界選手権の四輪競技で初の日本人世界王者に輝いた2005、2007年PWRC王者の新井敏弘も、オジエと同様にアルペンスキーを得意とし「ターンの感覚や路面のμ(ミュー)を読む能力はコーナリングに、ボディバランスや体幹が必要なジャンプの姿勢などは、ラリー競技に役立っていたかもしれない」と語っていた。

 幼少期から誰もがスキーに親しむ環境、南アルプスを望むフランス・プロヴァンス地方で育ったオジェは、22歳のときにFFSA(フランス・モータースポーツ連盟)が主催する育成プログラムに応募し、2年後には国内選手権に掛けられたプジョー206カップを制するなど、早くからその才能を開花させる。

 翌年にはJWRC(ジュニア世界ラリー選手権)であっさりシリーズチャンピオンを獲得すると、そのスピードと才能を確信した当時のシトロエン・トタル・ワールドラリーチーム代表のオリビエ・ケネルに推挙され、最終戦GBで『シトロエンC4 WRC』のシートを与えられた。

 キャリア開始からわずか3年足らずでのWRC最高峰カテゴリーだったにも関わらず、氷と雨のトリッキーな条件でオープニングSSなどがキャンセルされる混乱にも動じず、いきなりベストタイムを叩き出したエキップ・ド・フランスFFSAのシトロエンは、ヤリ-マティ・ラトバラやセバスチャン・ローブらを抑え、デイ1のSS5までラリーリーダーの座を守る。

 最終的にはトラブルによってリザルト自体は残らなかったものの、この活躍が契機となり翌2009年にはシトロエンのジュニアチームに抜擢。さらに翌年にはダニ・ソルドの代わりにグラベルイベントでトップチームから出走する機会を得る。

 そして第6戦ポルトガルでは、前戦ニュージーランドの最終SSで逃していたキャリア初優勝を飾り、ワークスの大エースであるローブをも抑え切ると、同年札幌開催だったラリージャパンで2勝目を挙げるなど、誰もが認めるトップコンテンダーとして頭角を現した。

シトロエン、フォルクスワーゲン、Mスポーツ・フォード、トヨタと数多くのマニュファクチャラーを経験してきた
キャリア黄金時代と言っていいフォルクスワーゲン所属の2013-2016年には、参戦51イベントで31勝を記録した
フォードがワークス待遇を引き上げ、プライベーターと呼ぶべき小規模チームになったMスポーツで、車両新規定導入年度から2年連続の戴冠を果たす

■VW時代に4連覇し、Mスポーツでもシリーズ連覇。トヨタでさらに2回の戴冠

 そして2011年は晴れてファクトリーチームに昇格すると、円熟期を迎えたローブに対し真っ向勝負を挑み、ポルトガル連覇やアクロポリス制覇を含む年間5勝をマークし、ローブとミッコ・ヒルボネンに次ぐランキング3位を記録する。しかし前任者ソルドとは異なり、絶対的No.1待遇を受けるローブとの処遇差を公然と批判したオジエは、2013年からのWRC参戦プロジェクトを表明していたフォルクスワーゲン(VW)に移籍する決断を下す。

 今季『Red Bull TV』で公開されたオジェの長編ドキュメンタリーでは、本人が当時を振り返って次のように述懐している。「ローブというアイコンに挑戦したかった。たまに『2011年は君にとって良い年ではなかったね』と言われる。そう、誰もが僕にネガティブな発言をさせようとしていた。それでも僕はポジティブなことだけを心に刻む。2011年は、僕にとって成長の1年だった」

 そのローブが前人未到のWRC9連覇を達成した2012年は、発展途上のキャリア1年をVWのプロジェクトに捧げるかたちでシュコダ・ファビアS2000をドライブしつつ、翌年投入予定の『ポロR WRC』のテストと開発作業に専念。それでも第12戦イタリア・サルディニアでは、並み居るWRカーを抑えてSSベストを叩き出すなど存在感を見せつける。

 そして2013年。ここからオジェの伝説が幕を開け、初年度の初タイトル獲得以降、2016年までVWとの4連覇を達成する。かつてトミ・マキネンやローブが記録した連覇記録に並んだオジェだったが、シリーズ撤退を決めたVWとの別れを経て、2017年は新型『フィエスタWRC』をドライブするべくMスポーツに移籍。マニュファクチャラー登録ながら純プライベーターとして戦う小規模チームを鼓舞し、翌年はフォードの支援も取り付けて2年連続のシリーズチャンピオンを獲得してみせる。これにより、オジェ自身も6年連続タイトルの偉業を成し遂げた。

 2019年は約8年ぶりに古巣シトロエンに復帰するも、ここでTOYOTA GAZOO Racing WRTのオット・タナクにドライバーズチャンピオンを奪われ、最終戦後の11月にはトヨタへの移籍を表明。ここから『トヨタ・ヤリスWRC』の熟成にも協力したオジェは、2年連続でエルフィン・エバンスとの最終戦決着を制し、自身のタイトル獲得数を『8』に伸ばすこととなった。

 今季2022年もTGR WRTに在籍するものの、家族との時間を優先するため3台目のワークスカーをエサペッカ・ラッピと共有する。そのオジエが、チームの育成方針に則して新たなコドライバーにヴァンサン・ランデを迎え、ラリージャパンへの参戦を果たす。「繊細なコントロールとブレーキングこそ、彼の強さ」と現チーム代表のラトバラが語るレジェンドの走りを、見逃すわけにはいかない。

Red Bullの支援もあり、F1を筆頭にDTMドイツ・ツーリングカー選手権クラス1車両も経験。RoC制覇やLMP2での実戦、LMH車両のテストもこなした
ペダルワーク、ステア操作ともに繊細で、路面μが安定しない状況下でも抜群の強さを誇る
新たなコドライバーにヴァンサン・ランデを迎え、ラリージャパンへの参戦を果たす