2022年シーズンのF1も終盤戦に入り、アメリカ大陸での連戦を迎えた。前戦日本GPではマックス・フェルスタッペンがドライバーズ選手権で連覇を決めたが、レッドブルはこのアメリカGPで、9年ぶりとなるコンストラクターズ選手権のタイトルをかけた戦いに臨むことになった。そんなアメリカGPを無線とともに振り返る。
フェルスタッペンのF1シーズン最多勝利記録を喜ぶベッテル「今年の終わりには16勝になっているといいね」
アストンマーティンのセバスチャン・ベッテルはミハエル・シューマッハーとともに、F1の1シーズンあたりの最多勝利記録保持者ではなくなったが、マックス・フェルスタッペン(レッドブル)が自身の記録を破ったことを喜んでいる。
前戦F1メキシコGPで、フェルスタッペンは2022年における14回目の勝利を収めた。彼はこの偉業によって、F1の1シーズンで最も多くの勝利を飾ったという記録を打ち立てた。
ハースF1の候補に挙がったヒュルケンベルグ、シート獲得は「僕が決められることではない」と語るも楽観的な姿勢
F1のベテランドライバーであり、スーパーサブのニコ・ヒュルケンベルグは、2023年シーズンにF1に復帰するチャンスについて「比較的楽観的」でいると述べている。
現在アストンマーティンのリザーブドライバーを務めるヒュルケンベルグは、具体的な目標としてハースの名を挙げることはしなかったが、ハースは2023年の空きシートがまだある唯一のチームだ。
メルセデスF1、アブダビでの若手ドライバーテストにフレデリック・ベスティを起用
メルセデスF1チームは、2022年最終戦アブダビGP後のヤングドライバーテストで、ジュニアドライバーのフレデリック・ベスティを起用することを発表した。今年FIA F2選手権に出場するベスティにとって、F1マシンで走る初めての機会となる。
デンマーク出身20歳のベスティは、FIA F3参戦時の2021年初めにメルセデスとジュニアドライバー契約を結び、2022年にF2に昇格。ARTグランプリから出場し、バクーのスプリントで優勝、残り1ラウンドの時点でランキング8位となっている。
F1中国GP、4年連続で開催断念か。2023年カレンダーが23戦に縮小する可能性も
2023年のF1中国GPは中止を避けられない見通しであると伝えられている。そうであれば、同グランプリは4年連続で開催を断念することになる。10月に行われた中国共産党全国代表大会において、中国政府はゼロコロナ政策を継続することを明確に表明した。これにより、観客の制限、関係者への防疫措置の厳しさなどから、2023年4月16日のF1中国GPの開催は極めて難しくなった。F1はすでに各チームに対して、来季中国GPの中止を伝えたという話もある。
レッドブルF1へのペナルティ内容に、フェラーリは不満「コストキャップ違反で得たメリットの大きさに釣り合わない」
レッドブル・レーシングの2021年における支出がF1コストキャップ規則で定められていた額を超過していたことで、同チームにはペナルティが科されることが決まったが、フェラーリはその内容に満足しておらず、制裁措置の実際の効果は「非常に限られて」おり、違反行為との釣り合いが取れていないと主張している。
レッドブルは、13の異なる分野にわたって約180万ポンド(約3億円)の超過支出があったため、FIAから700万ドル(約10億円)の罰金を科された。
アルピーヌF1のアロンソ、頻発するトラブルに苛立ち爆発「単なる不運ではない。戦う準備ができていないだけ」
アルピーヌのフェルナンド・アロンソは、F1メキシコGPでまたしてもトラブルに見舞われてリタイア、貴重なポイントを逃した。苛立ちを募らせたアロンソは、トラブルが多発することは、不運なわけではなく、アルピーヌ/ルノーには戦う準備がまだできていないのだと語った。
71周のレースの大半をポイント圏内で走っていたアロンソだが、エンジントラブルが発生、7番手から9番手に落ち、その後、63周でレースを終えることになった。
「ザウバーには大きなポテンシャルがある」とボッタス。アウディには2026年のF1参入よりも前に支援を始めてほしいと語る
2026年にザウバーと提携するというアウディの発表は重要なものだったが、それはまだ3年先の将来のことだ。チームは2023年の終わりまでアルファロメオの名の下で運営するが、バルテリ・ボッタスは、アウディが全力で取り組みたいのなら、仕事を始めるのにそこまで長く待つことはできないだろうと述べている。
「アウディと組んだザウバーには大きなポテンシャルがある」とボッタスはメキシコシティでメディアに語った。
フェラーリF1の黄金期を築いた名デザイナー、マウロ・フォルギエリが87歳で死去
スクーデリア・フェラーリの伝説的デザイナー、マウロ・フォルギエリが87歳で死去した。フォルギエリは1960年代から1980年代にかけてフェラーリのF1マシンを設計、数々の勝利とタイトル獲得に貢献した。
1935年にイタリア・モデナで生まれたフォルギエリは、1959年にボローニャ大学を卒業するとフェラーリに入社。1961年には、27歳の若さでスクーデリアのチーフエンジニアに就任、その後、テクニカルディレクターに任命された。
ウイリアムズ代表、サージェントのF1昇格を急いだという指摘を一蹴「準備の整った若手がいればシートを与える」
ウイリアムズのチーム代表であるヨースト・カピートは、アメリカ人ドライバーのローガン・サージェントのF1昇格を急がせてはいないと否定している。
フロリダ出身で21歳のサージェントは、イギリスF4選手権とフォーミュラ・ルノー・ユーロカップに出場経験がある。2019年にはカーリンからFIA F3選手権にステップアップし、その後はプレマやチャロウズ・レーシング・システムからレースに参戦した。